ヨット
AKIMASA.NET >> 団塊の世代一代記 >> ヨット
ヨット
http://dankai.akimasa21.net/fwd3/yacht
(本ページの短縮URLです)
a:1208 t:1 y:4
2002/12/30構成を多少変更
1999/10/02初出
新潟ではじめてヨットに乗る
1972年(昭和47)入社3年目のころ,私は初めてヨットに乗った。場所は鳥屋潟(とやのがた)という新潟市内にある潟(水溜り,池)である。水深は浅く水は濁っており所々藻が密集しているような小さな湖であったが、そこに貸しヨット屋があった。
船長帽をかぶった品のいいおじいさんが経営していて、持ち船はたった1艇のヨットだけだった。横浜から持ってきたというその艇は、セールこそ古ぼけていたが、木製のなかなか風格のある艇であった。メインセールに「鴫(しぎ)」のマークがついているスナイプ級という2人乗りのディンギーである。
スナイプ級は、学生・実業団で多く使用されおり、国体採用艇にもなっている。堀江謙一さんも高校時代の3年間はスナイプに乗りっぱなしだったようである。
さて、私を連れていってくれたのは得意先の先生であった。実際にヨットに乗ると、前に進むのに右へ行ったり左へ行ったり(タッキングの繰り返し)するものだから、初めての私は最初から最後まで、ヨットがどこをどう進んでいるのか全くわからなかった。
2夏連続で新潟から鎌倉のヨットスクールに通う
水溜りでのヨット遊びに物足らなくなった私たち2人は、夏休みをとり夜行列車に乗って鎌倉のヨットスクールに入校した。3泊4日くらいのコースであったと思う。使用艇は「Y-15」という2人乗りのディンギーで、設計者は横浜のヨットデザイナー、横山晃である。
鎌倉から帰ってからは、鳥屋潟にももちろん通ったが、海にも出かけた。新潟の海にも貸しヨットがあった。艇種は覚えていないが「Y-15」とほぼ同じ程度の艇であった。港から狭い防波堤の間を抜けて外海に出るまでの操船は先生の役目であった。
新潟の夏の海はディンギーには最高である。夏の南風が陸から吹くので波が立たないのである。海はきれいで風の強さも適当である。多分通常は5m/秒程度であろう。湘南の海もいいが海風が遠く太平洋から吹いてくるのでうねりがきついことがある。それに海岸近くでは海も汚れている。
次の年の夏、私たちは再び鎌倉に出かけた。今度は同じヨットスクールの1週間コースに入校するためで、またまた夜行列車で出かけた。集合時間前に朝食をとるために入った喫茶店で、「堀江謙一、再び単独無寄港世界一周へ挑戦」というような新聞記事が目に飛び込んできた。
1973年(昭和48年)8月4日(土)のことである。出港したのは8月1日だが新聞発表は抑えられていたのである。(翌年昭和49年5月4日無事忠岡港に入港して、単独無寄港世界一周を達成)
東京転勤となりヨットクラブに入会する
1974年(昭和49年)10月、私は東京へ転勤になった。年が明けて春になってから、このヨットスクールを開催していたクラブに入会した。実はこのクラブの設立には、堀江謙一さんも関係していたそうであるがくわしいことは知らない。
クラブ会員の活動拠点は江ノ島ヨットハーバーで、東京オリンピック(昭和39年)のときに造られたものである。使用艇は「Y-15」で夏の通常シーズンのみならず冬場の自主練習にも参加して、Y-15級全日本選手権に2年連続で出場した。私の活動時期は、東京・横浜時代の4年間と、そのあとの転勤先甲府からかよった1年間の合計5年間である。
広島に帰ってきてからはヨットに乗る機会はほとんどなかった。会社の同僚や息子と3~4回貸しヨットに乗ったくらいである。江ノ島時代の仲間にはその後クルーザーに移った人も多い。年賀状で塩気たっぷりの便りに接するのはとても楽しい。
堀江謙一の冒険
堀江謙一(ほりえ・けんいち)
身長158cm、体重55kg
- 昭和13年(1938年)9月8日、大阪市港区生まれ
- 昭和29年(1954年)関西大学第一高等学校(関大一高)入学
ヨット部に入り、初めてヨットにさわる - 昭和32年(1957年)関大一高卒業、社会人となる
- 昭和37年(1962年)23歳、マーメイド号
日本人初の小型ヨットによる太平洋横断(94日間)
シングル・ハンドでの太平洋横断は世界初である- マーメイド号(太平洋ひとりぼっち)
スループ艇
全長5.83m、水線長5.03m、幅2.00m
設計者:横山晃
- マーメイド号(太平洋ひとりぼっち)
- 昭和47年(1972年)34歳、マーメイド2世
東回り単独無帰港世界一周をめざして失敗(マスト切断)
出港わずか8日目にてリタイアする- マーメイド2世(単独無寄港世界一周失敗)
変形リグ(逆V字型マストが前後に1本づつ、帆は4枚)
全長7.25m、水線長?、幅2.50m
設計者:加藤木俊作
造船所:淡路ヨット製作所
- マーメイド2世(単独無寄港世界一周失敗)
- 昭和49年(1974年)35歳、マーメイド3世
単独無寄港世界一周(西回り275日13時間10分)- マーメイド3世(単独無寄港世界一周成功)
スループ艇
全長8.80m、水線長7.00m、幅2.80m
設計者:林賢之輔、村本信男、加藤木俊作
造船所:淡路ヨット製作所
- マーメイド3世(単独無寄港世界一周成功)
マーメイド(人魚)とは敷島紡績(株)のトレードマーク。堀江謙一が太平洋横断のとき、唯一寄付を受けたのが同社より提供されたメインセール(人魚のマーク入り)で、船名もそのままマーメイドとした。
太平洋ひとりぼっち
1962年(昭和37)
5月12日西宮出発(乗員は堀江のみ)、8月12日サンフランシスコ到着。所要日数94日間、日本人初の小型ヨットによる太平洋横断に成功する。なお、シングル・ハンド(一人乗り)による太平洋横断は、この時の堀江が世界で初めてである。
使用艇は、マーメイド号。キング・フィッシャー型19フィート(5.83m)のスループ艇(設計者:横山晃)で、1本マストのオーソドックスな艇である。だが、素人目には、果たしてこのヨットで太平洋???どころか外洋にでるのさえ危ないのではと思えるほど小さなヨットである。堀江謙一の、この艇で「太平洋横断は可能か」という問に対して、横山晃は可能と答え、加えてマストを現設計より10%短くするようアドバイスした。
小型ヨットによる太平洋横断、そしてそのためにパスポートを発給することなど、当時の日本では全く考えられない状況であった。彼は合法的に出国するため計画実行直前まであらゆる可能性をさぐった。しかし、結局はパスポートを持つことなくひっそりと“密出国”した。
彼の冒険はアメリカでは画期的壮挙として高く評価され、サンフランシスコ(市長ジョージ・クリストファー氏)名誉市民のカギを贈られる。これに呼応する形で日本の関係官庁は、彼の非合法的な出国に対して寛大な処置をとることを決定した。当初は、強制送還、即逮捕ということまで言われていたのである。
「海の勇士(ポレナー)賞」受賞(サンレモ市、イタリア)
昭和39年(1964年)夏、栄えある第1回受賞者となる。ちなみに、第2回受賞者はフランシス・チチェスター卿、第3回受賞者はトール・ヘイエルダール博士である。
第2回受賞者
フランシス・チチェスター卿(イギリスの海洋冒険家)
1967年5月、ジプシー・モス号で単独世界一周に成功する
東回り(シドニー寄港)275日間(実際の航海は226日間)
第3回受賞者
トール・ヘイエルダール博士(ノルウェーの人類学者)
1970年、葦船ラー2世号(あしの茎で作った帆船)で大西洋横断に成功。これより先、1947年古代人の筏「コンティキ号」でペルーからポリネシア群島へ航海し、ポリネシア文化のペルー発祥説を主張したことでも有名。
単独無帰港世界一周
1972年(昭和47)失敗
- 11月12日(第1日目)午後1時
大阪・淡輪港を出発(東回り世界一周をめざす) - 11月14日(第3日目)午前9時ころ
マストに亀裂が入っているのに気づく。セールをおろして1~2時間後、逆V字型マストが前後に1本づつあったうちの後部マスト完全に切断。 - 11月17日(第6日目)
前部マストも折れる - 11月19日(第8日目)
海上保安庁へ救助要請 - 11月20日(第9日目)午後2時50分
巡視艇による曳航開始。三重県・鳥羽港に入港
(出港からわずか8日間で失敗に終わる)
失敗の原因の一つに変形リグの採用があげられている。逆V字型のマストが前後に1本づづ、合計2本で帆は4枚というこのヨットの設計者は加藤木俊作、長崎造船大学船舶工学科を卒業したばかりの大阪のヨットデザイナーであった。
- 出発時の様子
岸壁を埋める2000人の群集
空には10機前後のヘリコプターや軽飛行機
美人からの花束贈呈
50隻ほどのヨット、漁船、モーターボートが港外まで付き添い見送り
しかし、失敗によりマスコミを先頭にした袋叩きに合う。
1973年(昭和48)再出発
- 8月1日(第1日目)午後11時45分
淡路島・生穂港を出発(西回り世界一周をめざす) - 9月8日(第39日目)
35歳の誕生日 - 11月2日(第94日目)
喜望峰を回る(太平洋から大西洋へ)
1974年(昭和49)成功
- 1月5日(第158日目)
ホーン岬を回る(大西洋から太平洋へ) - 5月4日(第277日目)午後12時55分
大阪湾・忠岡港に到着
注:出発時帰港地として予定していた淡輪港は工事で閉鎖中
マーメイド3世は、ふたたびオーソドックスなスループ艇とした。設計したのは、横山晃の弟子2人に前回の設計者を加えた合計3人で、共同設計の形をとっている。なお造船所も前回と同じ所を使っている。皆をもう一度男にしてやりたいという堀江一流の男気であろう。
小型ヨットによる単独無寄港世界一周航海は日本人初である
世界では3番目だが、艇の大きさは最も小さく所要日数は最も短い
難易度の高い西回りであることを考えるとその価値は非常に高い
なお、西回りでは、ホーン岬で逆潮になるのでその分むつかしい
今回の航海では、妻のほか数人の見送りを受けただけで出発し
帰港時には忠岡町長を代表とする大歓迎を受けた
- それまでの単独無寄港世界一周記録
- ロビン・ノックスジョンストン(イギリス人)当時30歳
1969年4月、東回り単独無寄港世界一周(312日間) - チャイ・ブレイス(イギリス人)当時31歳
1971年8月、西回り単独無寄港世界一周(293日間)
- ロビン・ノックスジョンストン(イギリス人)当時30歳
参考資料
- 堀江謙一著「太平洋ひとりぼっち」(ポケット文春版)、文藝春秋(1962年)
- 堀江謙一著「マーメイド三世」朝日新聞社(1974年)
- 堀江謙一著「マーメイド号(挫折と栄光の全記録)」講談社(1974年)
- 堀江謙一著「世界一周ひとりぼっち」立風書房(1977年)
- 本多勝一著「冒険と日本人」実業之日本社(1972年)
- 沢木耕太郎著「若き実力者たち-現代を疾走する12人-」文藝春秋(1973年)
Y-15級ヨット
Y-15グループ冬期自主練習に参加する
1978.08.09 Y-15グループ冬期自主練習始末記(5)より
先月号と先々月号の2回にわたって、練習内容の一端をご紹介してきました。今回は,その練習をささえてくれた私たちの愛艇について述べてみたいと思います。
Y-15級。これが私達の船の名前です。“生みの親“は横山晃氏、その頭文字をとって「Y」、全長「15」フィート(4m60cm)、この二つを合わせた「Y-15」が船名となっています。設計は1958年、翌年59年に一号艇が進水、70~71年にいくつかの改良が試みられ現在のマーク2にいたっています。発表以来20年たった現在も多くの人々に変わらず愛されつづけ、国内艇として最高の普及率を誇っています。
この根強い人気の秘密は何か。その特徴を取り上げて分析してみることにしましょう。
Y-15の特徴は
- 1. 安定性がよい
- 2. 艤装が簡単である
- 3. 操縦しやすく保針性が良い
- 4. 自作が容易である
- 5. 船価が安い
ということです。もちろん、以上の条件は互いに関連性をもっています。
Y-15は、とにかく安定性の良い船です。一人でも、4~5人でも乗って楽しむことが出来ます。また、10mくらいの風ならば、そう簡単には沈しません。12~3の風でも十分練習出来ます。これ以上吹いてくれば、リーフ(縮帆)という手段もあります。万一沈した場合でも、起こすのはそうむつかしくなく、再帆走も可能です.ですから微風から強風まで、いつでも海の上に浮かんでいることが出来ます。それだけ乗るチャンスは多くなります。海に親しむ機会もそれだけふえます。もちろん、それにつれて上達も早くなります。艤装が簡単で保針性が良いことと合わせて、初心者からベテランまで楽しめる船となっています。
Y-15は、船型も簡潔なチャイン艇です。これによって自作を容易にしています。近年のY-15新艇においては、木造自作艇の割合が、FRPプロダクション艇に比して、はるかに高くなっています。これは工作というものの価値を、人々があらためて認識しはじめたからに違いありません。工作こそは、人間が人間である為の最大の手段の一つだそうです。自分自身の手を自由に使って様々な物を造ること、これは直立二足歩行をする人間にして初めて出来る行為です。また木のもつ良さも見直されつつあります。
Y-15の低廉な船価は、簡単な儀装および工作の容易さと共に、あまりお金をかけなくてすむ船を私達に提供してくれます。ヨットの世界は、趣味の世界・遊びの世界です。遊びの世界こそ個性を最も発揮出来る場だと思います。そこでは、金額の多少は本質的な問題ではありません。Y-15による船遊びによって、より多くの人々が、より多くの個性を発揮して、より多くのヨットライフを楽しむことが出来るのです。
以上、Y-15のもつ特徴について分析を加えてみました。そこから浮かび上がってくるものは、結局、横山晃氏の設計思想にほかなりません。
- 1. ヨットは、遊びの船である
- 2. その目的は、より深く海と親しくなることである
- 3. もちろん、出来る限り安全でなければいけない
- 4. 出来れば、その船は自分で造りたい
これは言うまでもなく、ヨットの基本そのものです。海に生まれ海を離れてしまった生物としての人間が、ふたたび海へ帰っていく為の手段として、ヨットはあります。そして海は、人間が人間らしさを失いつつある現代において、人間が人間らしさを取りもどす場として、あるのです。すなわちヨットは、人間が人間らしく生きる為の道具として、存在するのです。
基本とは、書道で言えば行書・草書に対する楷書である、ということが出来ます。楷書の練習なくして、行書・草書の練習はありません。いわゆる達筆よりも、まず第一に、だれもがまちがいなく読める字を書く、ということです。結果として、それは美しい型(カタチ)となるはずです。楷書の中に書道のすべてがあります。楷書は書道の基本です。基本が出来て初めて有段の芸の道へ進むことが出来ます。あるいは少なくとも有段の芸を見ることは出来る様になるでしょう。
前回の「基本動作」は、より速くヨットを走らせる為の技術、として紹介しました。しかし本質的には、ヨットの基本を極める為の技術であることは言うまでもありません。それでこそ、本物の「基本動作」といえます。すなわち、ヨットをより安全に走らせる為の技術であり、より深く海を知る為の手段なのです。
Y-15は、ヨットの基本です。ヨットのすべてがこの中にはあります。Y-15は、書道の楷書にあたる訳です。完成された楷書が、一個の芸術品として鑑賞されるのと同様に、Y-15も完成された芸術品としての鑑賞にたえうるヨットとなっています。これがY-15の特徴のまとめです。多くの人々を引きつけてやまない魅力がここにあります。
Y-15は、入門艇として最適であることはもちろんです。そして、いわゆるレース派・ブルーウオーター派を問わず、常に振り返り,結局最後には、ふたたび手にするヨットであるのかもしれません。Y-15は、ヨットの基本です。したがって、私達の目標である「Y-15の完全マスター」とは、「ヨットの基本」の完全マスターである、と言えます。私達はその目標に向かって,確実な第一歩を踏み出したのです。
参考資料
- ディンギー・クラスの周辺<1>Y-15クラスの巻、舵1976年6月号
- 自作の方法と問題点、横山晃、舵1978年8月号
- 私にとっての海、冒険、自由(12メーター・ケッチの自作)
青木洋、舵1976年9月号 - デザイナーのコメント(<信夫翁3>を設計して)
横山晃、舵1976年10月号 - 人類の誕生、今西錦司著、河出書房新社
- 書物・情報・読書、紀田順一郎著、 出版ニュース社