旧石器発掘ねつ造(捏造)
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旧石器発掘ねつ造(捏造)
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2005/12/24、アマゾンレビュー転載
2004/02/29、追加(旧石器時代の日本列島)
2003/05/02、初出
旧石器発掘捏造(ねつ造)事件とは
20世紀最後の大スクープ
「旧石器発掘ねつ造(捏造)」
2000年11月05日(日)毎日新聞の第一面スクープである。
宮城・上高森遺跡70万年前と発表 調査団の藤村氏自ら埋める「魔がさした」
という記事と共に、藤村新一氏(東北旧石器文化研究所副理事長、50歳)が石器を埋める現場をとらえたビデオカメラの映像を載せている。旧石器発掘捏造(ねつ造)事件が世間に公表された瞬間である。20世紀最後の大スクープといってよいであろう。
日本人のルーツはどこまでさかのぼれるのか。旧石器時代の研究は、1981年に座散乱木(ざざらぎ)遺跡で四万数千年前の石器が発見されて以来、20年足らずの間に70万年前までさかのぼっていた。そして、これらの発掘の現場には常に藤村氏の姿があった。今となっては、それらの多くが氏の自作自演(自分で石器を埋めて自分で掘り当てた)であった可能性が非常に高くなっている。
直ちに教科書の書き換えが始まった。しかしよく考えてみれば、もともと藤村氏らの研究成果が次々と教科書に採用され続けたこと自体が異常だったのではないだろうか。
氏らの研究ではきちんとした研究報告書は作成されていない。石器の型式の比較研究はほとんどなされていない。ただ単にそれ相当と思われる地層から石器が出たというレベルにすぎない。前期 (および中期)旧石器時代を対象とした考古学のレベルはその程度のものだったのだろうか。
2004/02/28、新規追加
前・中期旧石器問題調査研究特別委員会編
「前・中期旧石器問題の検証」2003年、日本考古学協会
- 藤村氏がかかわった遺跡は186箇所
- 本物は一つもなくすべて捏造
- 旧石器遺跡のリストから末梢
在野の顔に泥を塗られた、相沢忠洋氏(岩宿の発見)の妻千恵子さん談
相沢忠洋(あいざわ・ただひろ)という在野の研究者がいた。氏による岩宿遺跡の発見は、日本にも旧石器時代(後期)が存在することを証明した「戦後の考古学史上最大の発見」と評されている。
1975年(昭和50年)、その歴史的な石器を相沢さんから直接自分の手の上に置いて見せてもらった「熱烈な考古学ファン」、それが藤村新一氏(当時25歳前後)であった。「手を震わせ、石器を食い入るように見つめていた―相沢さんの妻千恵子さんの話」という。こうして藤村氏も在野の研究者の一人となっていった。
日本の考古学はこのような在野の研究者によって陰で支えられている面が大きい。しかし、彼らが後世に名を残すチャンスはほとんどない。たとえ貴重な発見をしたとしても、学会で認められないことにはどうしようもない。そのためには学会の権威によるお墨付きが必要となるが、その過程で業績の横取りということも起こり得る。相沢さんの岩宿遺跡でも同様のことが起こっている。
明治大学助教授・故杉原荘介氏は、相沢さんを岩宿遺跡の発見者として扱わなかった。これに反発して明大をさり東北大学に移ったのが、当時、明大大学院生だった芹沢長介・東北大学名誉教授である。藤村氏が師と仰いできた学者である。運命の皮肉を感ぜずにはいられない。
それはさておき、相沢忠洋さんの妻千恵子さんは藤村氏について語っている。在野の顔に泥を塗られた。「やはり在野はダメ」だという学者の声が聞こえてくる。・・・悔しくてやりきれません。
藤村前副理事長は在野の考古学研究者を対象にした第1回相沢忠洋賞の受賞者だったが、11月7日に返上した。同様に第4回受賞者の東北旧石器文化研究所も賞を返上した。
事件の影響は教科書の書き換えにとどまらず、博物館やインターネットの世界に及びお膝元の考古学協会も対応に追われた。藤村氏が発掘に関与した遺跡を有する自治体でも混乱が続いている。
「はじめて出会う日本考古学」安田喜憲編、有斐閣アルマ(1999年)
事件の影響で絶版になった本がある。確かに絶版にしたというお知らせが出版社のホームページ上にあり、書籍リストにも絶版となっていたはずだが今日現在その文章はどこにも見当たらない。書籍紹介をみればさりげなく在庫の有無として”無”となっているだけである。
出版社に問い合わせたところやはり絶版とのこと。絶版のお知らせについては、いつまでも表示しておくのもどうかと思い削除したということである。いずれにしても、国際的に通用すると思われる若手執筆者を国籍を問わず登用して<21世紀、国際化時代の日本考古学発展の一助たらん>とした本書が世間の目から遠ざけられるのはいかにも残念なことである。
絶版措置はもったいない(アマゾンレビュー)
絶版措置はもったいない(アマゾンレビュー、akimasa21、2005/09/23)
編者による”まえがき”によれば、本書の著者(編者1名以外の10名)として、国際的に活躍している若手研究者を起用したとしている。21世紀国際化時代の日本考古学を担う人材の登用である。本書は、そのようにして選ばれた著者が、それぞれ自分で項目をたてて最新の研究成果を披露した11人11章(編者分を含む)で構成されており、日本考古学の新展開を展望できる仕組みを提供している。
”まえがき”には、次のようなことも書いてある。「日本の考古学が、ともすれば日本人の考古学者にしか通用しない概念や方法論に沈溺し、日本のいやもっと小さな地方の考古学の世界に閉じ込もってはいないだろうかという危惧をいつも感じている・・・」。
毎日新聞社旧石器遺跡取材班による「発掘捏造」毎日新聞社(2001年刊)によって、その危惧は現実のものとなった。旧石器発掘ねつ造が発覚し、2000年11月4日に当事者はその事実を認めた。
本書第6章「旧石器考古学の新視点」の扉写真のキャプションは、”60万年前の原人が残した宮城県上高森遺跡の石器埋納遺構2(東北旧石器文化研究所提供)”となっている。本文でもそれら遺跡について言及している。
本書は現在さりげなく品切れとなっている。出版社としては、絶版処置としているはずだ。実にもったいない。私は本書P.080の中で、土器(浅鉢と深鉢)の色調および厚さの地理的勾配(等高線のように表示される)が、地域と時代によってダイナミックに変化している図をみて驚いたものだ。考古学はやはり科学なのだ。事件後も本書の価値に変わりはない。
旧石器時代の日本列島
日本と大陸との間の陸橋の存在(過去3回のみ)
- 第一回目
約63万年前(更新世中期初め)
中国南部動物群(トウヨウゾウ、マチカネワニなど)の渡来
原人もそれを追って渡ってきたか?
- 第二回目
約43万年前(更新世中期中頃)
中国北部動物群(北京・周口店動物群)の渡来
ナウマンゾウ、オオツノジカ、カトウキヨマサジカ(ニホンジカの祖先)、
ヒグマ、オオカミ、キツネ、タヌキ、ニホンザルなど
北京原人の時代である
それ以降、日本列島が西・南方面で大陸につながった時期はないとされる。
- 第三回目
約3万年前(更新世後期後半、後期旧石器時代)
北海道とシベリアがつながった時期がある
ホモ・サピエンス(現生人類である新人)の時代、具体的には
クロマニヨン人の時代である
なお、新人の起源はアフリカで、その出現は十数万年にさかのぼるとする説が有力である
旧石器群を出土した主な古い遺跡
- 沖縄県山下町第一洞穴
3万2千年より古く、人骨の化石といっしょに石器3点出土
礫器を主体とする石器文化の存在
- 立切遺跡(たちきり、鹿児島県種子島)
約3万年前の旧石器時代の生活跡
一定期間定着して生活した様子が4点セットで出土した
・石斧や食物の加工用に使われたと思われるすり石,たたき石,台石
・調理場跡とみられる礫(れき)群
・たき火や料理をした跡の焼土
・木の実などの貯蔵穴と思われる土坑
- 宮崎県後牟田遺跡
約3~4万年前
人類の生活の痕跡(礫群・敲石・台石などのセット)がまとまって検出された
- 熊本県血気ヶ峯遺跡
- 熊本県曲野遺跡
台形様石器と局部磨製石斧の組み合わせ完成
- 東京都西之台B遺跡や中山谷遺跡
約3万5千年前、関東地方で最も古いと考えられる
礫器と不定形剥片石器の組み合わせ
- 岩手県金取遺跡
Ⅳ層(約3万8千~8万年前)、Ⅲ層(約3万6千年前)
礫器と不定形剥片石器の組み合わせ
後期・旧石器時代人は黒潮に乗ってやってきた
立切遺跡(種子島)、東京都西之台B遺跡や中山谷遺跡(東京都)等で出土した石器群は、礫器、大型幅広剥片石器、錐状石器、クサビ形石器、磨石、敲石などの「重量石器」を特徴としている。そして同様な旧石器群が、ベトナム、香港、台湾島などにも分布することが知られている。黒潮圏の考古学(HP)より
礫器は石蒸し料理に使うもので、たくさんの石をまとめて使った後は礫群として痕跡を残す。石蒸し料理という南方系の文化を携えた人々が黒潮に乗ってやってきたと考えられる。縄文人の祖先たちであろう。縄文人は基本的に南方系の形質が強いとされている。
東京・武蔵野台地の旧石器遺跡(約3万2千年前頃)から、伊豆諸島・神津島産の黒曜石を使用した石器類が発見されている。しかし、神津島と伊豆半島との間には、幅30km(海深200m)以上の海が横たわっている。渡航具(筏、丸木舟)はまだ見つかっていない。しかし、旧石器時代人がすでに舟を利用して行き来していたことは間違いない。
なお、神津島と神津島産黒曜石を出土した遺跡との距離は、最も離れたところで約180kmある。神津島産黒曜石の品質が良く人気が高かったことに加えて、遠隔地まで運ぶ流通ルートや組織が確立していたものと考えられる。
参考資料
- 発掘捏造
毎日新聞旧石器遺跡取材班、毎日新聞社(2001年) - 「岩宿」の発見-幻の旧石器を求めて-
相沢忠洋著、講談社文庫(1973年) - 明石原人の発見-聞き書き・直良信夫伝-
高橋徹著、朝日新聞社(1977年) - 学問への情熱-「明石原人」発見から五十年-
直良信夫著、佼成出版社(1981年) - 見果てぬ夢「明石原人」-考古学者直良信夫の生涯-
直良三樹子著、時事通信社(1995年) - 森本六爾(「二粒の籾」改題)-弥生文化の発見史-
藤森栄一著、河出書房新社(1973年) - 考古学の殉教者-森本六爾の人と学績-
浅田芳朗著、柏書房(1982年) - 揺らぐ考古学の常識―前・中期旧石器捏造問題と弥生開始年代―
設楽博己編、吉川弘文館(2004年)
- 黒潮圏の考古学(HP)
http://www.ao.jpn.org/kuroshio/
主に黒潮海域(黒潮圏と呼ぶ)における先史人の拡散、移動経路など、つまり「新・海上の道」とも呼べる日本人の原郷に関する「南方ル-ト」の復元を目標としている。
キーワード:
旧石器発掘ねつ造、旧石器捏造
相沢忠洋(あいざわ・ただひろ)、岩宿遺跡(いわじゅく)
直良信夫(なおら・のぶお)、明石原人(あかしげんじん)
森本六爾(もりもと・ろくじ)、唐古遺跡(からこ)