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エノラ・ゲイとは
エノラ・ゲイとは、1945年8月6日午前8時15分(昭和20)、広島に人類史上初の原爆(原子爆弾)を投下したB29爆撃機(機長以下乗員12名)に付けられた名前である。
広島育ちの私
飛行機雲を見ると、あっ!B29だー、と叫んでいるような小学生時代であった。場所は、旧広島市郊外(現広島市安佐南区)、原子爆弾投下からすでに10年以上過ぎた頃の話である。
当時の少年たちは、原子爆弾の本体はマッチ箱くらいの大きさで、原爆の後開発された水爆ならば、たった4発で日本は全滅するなんて話をしていたものである。(なお、原子爆弾の投下装置全体、通称リトル・ボーイの重さは約5トンだそうである)
もちろんこれは広島での話で、私の二女(関東育ち)は広島で暮らすようになって初めて原爆のことを知ってショックを受けたようである(小学校6年生で転校)。昭和60年代前半のことである。
広島では常識であっても、全国的にみれば、教科書には載っていてもその実態を教えることのできる教師は皆無に等しかったということであろう。また広島出身の父親としての私が、その話をしたことがなかったのも原因の一つである。
エノラ・ゲイ(広島に原爆投下)
エノラ・ゲイとは、広島に原子爆弾を投下した爆撃機B29に付けられた名前。機長はポール・ティべッツ大佐(1915年イリノイ州クインシー生、29歳)。エノラ・ゲイとは、機長ティベッツが母親の名前をとって命名したものである。攻撃前日、彼は一人のペンキ工に命じて、機首に「ENOLA GAY」と大書させた。
B29は、ボーイングB29スーパー・フォートレス(超空要塞機)、超長距離通常爆撃機として発案、設計され、緊急に製造された最新型爆撃機である(約3,200機製造)。高度1万m以上での飛行可能、航続距離5,600km(4トン爆弾搭載)。全長30.2m、全幅43m、高さ9m。
エノラ・ゲイはその内の一機、ネブラスカ州オマハのマーティン航空機会社によって製造された航空機 B-29-45-MO S/N 44-86292 で、広島への原子爆弾投下のため特別な改良が加えられた。
1945年8月6日午前2時45分(日本時間午前1時45分)、中部太平洋のテニアン島北飛行場を飛び立つ(機長以下乗員12名)。日本時間午前5時硫黄島上空。機首を四国に向け、高度9,200フィートの高度まで上昇してそのまま進入(時速205マイル)。
攻撃直前さらに急上昇、午前8時15分17秒、高度約3万フィートの広島上空で原子爆弾投下、43秒後に地上1,890フィートの上空で爆発した。すなわち人類史上初の原子爆弾爆発の時刻は1945年8月15日午前8時16分(日本時間)となる。
ただし一般的には、原爆の影響を受けて止まった多くの時計の針が〈8時15分〉を指しているとして、原子爆弾の爆発した時刻を<8時15分>と感覚的にとらえている人も多い。私もそのように考えていた。だから、原爆記念日の黙祷開始時刻は8時15分であると。
さて、エノラ・ゲイは午後2時58分(日本時間午後1時58分)テニアン島北飛行場に帰還。往復飛行時間12時間13分。航続距離2,960マイル。直ちに、スパーツ将軍よりティべッツ大佐に殊勲十字章を授与。
なお、テニアン島はマリアナ群島に属しており、その主な島には北から順に、サイパン島、テニアン島、グアム島がある。
原爆投下の時刻は、8時15分である
広島市ホームページを見てみると、原子爆弾〈投下〉時刻が〈8時15分〉であり、原爆が炸裂したのは、その43秒後であるとはっきり記載している。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
広島市ホームページより(2016年8月11日現在)
2002/09/10(火)中国新聞1面より
広島原爆・爆心地は、従来説よりも16.2m西、〇〇病院南西側(従来説は南東側)とのこと。原因は、爆心地推定に使ってきた米陸軍作成の地図に”ずれ”があり、現在の地図上に正確に転記されていなかったためという。放射線影響研究所(放影研、広島市南区)調査結果発表による。
爆心地の座標は、被曝線量推定方式「DS86」を検証するための基準点となるものである。なお、原爆の爆発高度について、別の報告によると爆心地上空600m(従来説580m)が妥当という。 ⇒2016年現在修正済み
爆心地の位置を数値地図で読み取ると、おおよそ次のようになる
原爆ドームの南東方向120~30m
北緯34度23分28秒
東経132度27分26秒
エノラ・ゲイ展示(スミソニアン博物館)
中国新聞地域ニュース(2003年12月16日)インターネット版等より
スミソニアン航空宇宙博物館新館(米国ワシントン郊外)が、2003年12月15日午前十時(日本時間16日午前零時)にオープンし、広島に原爆を投下 したエノラ・ゲイ(B29爆撃機)の一般公開が始まった。エノラ・ゲイは、「技術の進歩の証し」として数多くの航空機といっしょに展示されており、 原爆投下に関する説明では、「1945年8月6日、戦闘としては初の原爆を投下した」とあるのみで、被害の実態(死傷者数や歴史的な経緯)等については一切触れられていない。
原爆死没者数(1945年末までの死亡者数)
広島原爆死没者数の公的な推定値は、「14万人±1万人」とされている(広島市が1976年に国連事務総長に提出した要請書から)。しかしその人数はあくまでも推定値であり確定したものではない。
広島市では、1979年から3~4年を1期とした動態調査を行ってきたが、1995~98年調査(第6期)でも死亡者数は88,865人であり推定値との開きは余りにも大きい。そして近年では新たな資料の発掘もなく調査は完全に行き詰まっている。このため広島市は21日、第七期動態調査報告書の作成を先送りする方針を明らかにした。中国新聞、2003年6月22日(日)
参考資料
「エノラ・ゲイ(ドキュメント・原爆投下)」松田銑訳、TBSブリタニカ(1980年)
「拒絶された原爆展-歴史の中の「エノラ・ゲイ」」 マーティン ハーウィット著、みすず書房(1997年)