元祖・御三家

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元祖・御三家

西郷輝彦さん、2022年2月20日(令和4)、前立腺がんにて死去(75歳)
ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。

1960年代、青春歌謡を歌っていた橋幸夫、舟木一夫、そして西郷輝彦の三人は、“御三家”として親しまれ絶大な人気を誇っていた。後の新・御三家(郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎)に対して、元祖・御三家とも言われているようである。

その元祖・御三家が、ユニット「G3K(ごさんけ)」を結成して、2000年10月6日から2001年12月31日まで、全国100都市でツアーコンサートを行ったことがある。テレビ番組以外で三人が競演するのは初めてであり、ステージで三人がそろうのも、その時が「最初で最後」であった。なお司会は、玉置宏(たまおき ひろし)。

彼らは三人共、デビュー曲がその年のうちにヒットして、同年末にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たしている。また、日本レコード大賞新人賞も同時に獲得している。

御三家とはもちろん、徳川家の尾張・紀伊・水戸家のことである。それ以外のいわゆる「ご三家」について、『記者ハンドブック(新聞用字用語集)第13版』共同通信社(2016年3月刊)では、〈「ご三家」(芸能界など)〉としている。

ただし実際には、芸能界の「ご三家」は「御三家」と表記される場合が圧倒的に多く、当Webでもそれに従っている。参考までに、今回の西郷さん訃報に際して、大手新聞デジタル版(日経、読売、毎日、朝日など)では、「御三家」としている。

そうした中で、東京新聞や中国新聞(本社・広島市)では、「ご三家」を採用している。

注)記者ハンドブック(第14版:2022/03/15発行)では、以下の記載のみで注釈など一切無しになった。

「ごさんけ:御三家」

ちなみに、薬業界(関西)にはかつて、〈道修町御三家(武田・塩野義・田辺)〉という言葉があった。大阪市中央区・道修町(どしょうまち)は、江戸時代から続く薬問屋街から発展した町であり、日本の医薬品産業発祥の地と言われている。

「高校三年生」(我が青春の歌)

昭和39年(1964年)夏、私たち(高校2年生)の学校の修学旅行は九州一周旅行であった。途中、バスの中で作新学院(栃木県)の高校野球春夏連覇(史上初)のラジオ放送を聞いた記憶がある。そして、同じくラジオから流れていたのは、前年度レコード大賞新人賞を獲得した「高校三年生」である。それから数十年たって、私たちの同期会では校歌に続いてこの歌を合唱してお開きとなる。

私たちにとって忘れ得ぬこの歌を歌っていたのは、舟木一夫。この歌で彼は一躍スターダムにのし上がっていた。その彼が一時期不遇の時代を迎えることとなる。しばらくして、全てを乗り越えて再び表舞台に登場してきた彼は渋く輝いていた。そういう彼が私は好きである。

橋幸夫

1943年5月(昭和18)、東京都生まれ、4学年上
1960年8月(昭和35)デビュー、17歳
潮来笠(作詞・佐伯孝夫、作曲・吉田正)
同年、第2回日本レコード大賞新人賞(新人賞はこの回初めて設定)
同年、第11回NHK紅白歌合戦初出場(司会:赤組 中村メイコ、白組 高橋圭三)

舟木一夫

1944年12月(昭和19)、愛知県生まれ、3学年上
1963年6月(昭和38)デビュー、18歳
高校三年生(作詞・丘灯至夫、作曲・遠藤実)
同年、第5回日本レコード大賞新人賞(同年発表の“学園広場”と合わせて)
同年、第14回NHK紅白歌合戦初出場(司会:赤組 江利チエミ、白組 宮田輝)
紅白で歌ったのは、もちろん“高校三年生”である

西郷輝彦

1947年2月(昭和22)、鹿児島県生まれ、1学年上
1964年3月(昭和39)、17歳
君だけを(作詞・水島哲、作曲・北原じゅん)
同年、第6回日本レコード大賞新人賞(同年発表の”十七歳のこの胸に”と合わせて)
同年、第15回NHK紅白歌合戦初出場(司会:赤組 江利チエミ、白組 宮田輝)
紅白では、“十七歳のこの胸に”を歌う

2001/03/20、初出

山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年4月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)