このページの目次です
乳頭山遭難事件とは
2005年3月末(平成17)、秋田・岩手県境の乳頭山(烏帽子岳、標高1477.5m)に日帰り登山で出かけた秋田県の登山愛好グループ43人が吹雪のため遭難、一夜を雪中で過ごし、翌日、岩手県側の雫石町で全員無事保護された。(2005年03月29日入山、30日救助)
山楽会(全日本年金者組合秋田県本部秋田市支部の山登サークル)
会長は、アルプスなど海外登山の経験あり、乳頭山頻回登山
今回は副リーダー格で参加(当日の統括リーダーは別にいるという意味か)
無事下山後の記者会見では、会長が中心となって釈明・陳謝している
当日のメンバー43名は、ほとんど60代~70代で、最年少でも50代後半、最高齢者78歳、中にペースメーカー装着者1名あり。登山歴でいうと、ベテラン10名、初心者約7割という。初心者30名前後を、ベテラン10名が引率した雪山という形になる。
全日本年金者組合ホームページ(2005年03月31日付け)
秋田県本部の登山事故について/お礼とお詫び、という一文が中央執行委員長名で掲載されている。そこでは、「事故にいたった原因の究明と、今後に生かすべき教訓を明らかにする作業にただちに取り組みます」とうたっている。
当Web管理人としても非常に関心の高い事柄であり、ぜひともその結果をインターネット上で公表することを希望するメールを4月上旬に送信した。
私はそのメールにおいて、当Webページの中に明らかな誤りあるいは不都合な表現があれば、直ちに訂正する用意があることもお伝えしている。しかし、返信メールその他、いっさいの連絡は何も受け取ることなく今日(2009年08月05日)に至っている。
まず最初に簡単な時間経過を押さえておこう
2005年3月29日
午前6時20分、秋田市内出発
午前9時25分、孫六温泉(乳頭温泉郷)から入山
田代岱山荘までは順調、そこで昼食中に天候急変
ルートを示すために立てておいたポールが吹き飛ばされるほどの暴風雪
山頂を踏まず引き返すことになったが、下山途中ルートを見失う
午後7時30分、ビバーク、ブナ林の中に非常用簡易テント7つを張る
3月30日
午前6時過ぎ、携帯電話、”全員無事で蟹場温泉(乳頭温泉郷)に向け下山中”
午前7時50分、秋田県警捜索隊捜索開始(二手に分かれる)
午前10時50分、県警捜索隊が合流し田代岱の山荘に到着、会員らに使用された形跡がないことを確認。
午前11時15分、携帯電話、”誤って沢に入ったが、全員無事、助けを求めるため、〇〇さんが1人で大釜温泉に向かっている”
午後1時55分、〇〇さんが岩手県雫石町の葛根田地熱発電所付近に下山。自宅に電話、”下山した。残りの42人も葛根田沢の尾根で待機している。”
午後2時半過ぎ、待機中のメンバーに先行者一人無事下山が伝わる。そこで初めて岩手県側に入りこんでいることも知らされた。(携帯電話への通話)
午後3時、雫石町役場に乳頭山遭難対策本部設置。町の自衛隊出動要請を受け、航空自衛隊秋田救難隊のジェット機とヘリが雫石町に向け出発。しかし、天候不良のため、まもなく救助活動中止。
午後3時10分、岩手県警現地対策本部設置、10分後、救助隊員10名出発
午後4時47分、岩手県警救助隊、発電所付近のグループを目視確認
午後5時52分、岩手県警救助隊、発電所から葛根田川上流の尾根付近で遭難グループと接触、3分後、42人全員無事を確認、下山開始
(午後5時45分、秋田、岩手両県警の第2次救助隊19人入山)
午後9時15分、第一陣21人下山
午後9時47分、第一陣21人が現地本部をマイクロバスで出発
午後10時30分、第一陣が雫石町役場に到着
午後10時45分、第二陣21人下山
午後11時4分、第二陣21人が現地本部を出発
3月31日
午前0時30分、雫石町役場で記者会見
遭難の背景について考えてみよう
二つ玉低気圧が大暴れして暴風雪となる
29日朝の現地の天候は曇り。しかし、秋田地方気象台は風雪注意報を発令しており、天候が下り坂になることは十分に予測できた。これに対して、「行けるところまで行こう」、「天候が悪くなれば引き返せばいい」という判断で入山した。
しかし、3月下旬としては例年にない大雪が残っている上に、二つ玉低気圧が大暴れして暴風雪となった。ただ幸いなことに、全員無事下山後、心臓などに持病のある男性2人と凍傷の男性1人が念のため入院したが軽症、他の人たちも比較的元気であった。
最近の防寒具の性能強化には目をみはるものがあるようだ。今回、中高年43名全員が無事生還できた条件の一つとみなすことができるだろう。ただし、装備が良くなって冬山が身近になり、初心者の安易な登山が増える傾向にあるとも指摘されている。
地図とコンパス(磁石)を使う機会を逸した
さて、ベテラン組の中には、春夏秋冬の季節を問わず、乳頭山に何十回も登った人たちがいる。そんな山で道を間違えることなどあり得ない。地図とコンパス(磁石)で方角を確認することなく下山を始めた。そこに油断があった。
一度見失った現在位置を、もう一度把握し直すことはそれ程簡単なことではない。山に入ったならば、地図の上で自分は今およそどの辺りにいるのかを、常に把握するようにしなければならない。その上で、時々は現在位置をきちんと確定しながら進むことが大切となる。(2006/04/27追加訂正)
今回、高性能のコンパスを持ってはいた。しかし、おかしいと思うまでそれを使うことはなかった。そして、おかしいと気づいた時、ホワイト・アウトした中で目標物は何も見えず、コンパスは何の役にも立たなくなってしまった。
山荘から孫六温泉(乳頭温泉郷)への下山ルートは、二万五千分1地形図(ウォッちず-国土地理院HP)によれば、まず少し西に行ってすぐにやや南に振り1170mの尾根に乗る。しかし、吹雪でほとんど視界がきかなくなった中、完全にルートを見失いビバークを余儀なくされる(非常用簡易テント7つ)。
ベテラン組は、自分たちの現在位置は、乳頭温泉北側の蟹場(がにば)尾根である、と信じ込んでいた。つまり、入山地点の孫六温泉に下るには、少し南に振るべきポイントがある。しかし、ここを逆に田代平の方に北上してしまったらしい、と考えたのだろう。
迷いはしたけれども、そのまま秋田・岩手県境沿いを大きく北から回り込んで、(蟹場尾根を下って)乳頭温泉郷に向かっていると考えていた。しかし実際には、ほとんど逆方向に進んで岩手県側に大きく入り込んでしまっていた。ところが、だれもそこまでずれ込んでいるとは思ってもいなかった。
全員無事下山、中高年パワーを見せつけたとも言えるのだが
救助を求めるため、一人だけ先に下山させた時の携帯電話による連絡内容は、”<大釜温泉>(乳頭温泉郷)に向けて〇〇さんが下山する”、というものであった。しかし、一人で下山したその当人は、乳頭温泉郷とは反対側にある<葛根田>地熱発電所附近にたどり着いて、”ここはどこですか”、とたずねたという。(一人だけ単独で先行下山ということ自体よく理解できない)
当Web管理人(団塊の世代一期生)が、当日のメンバーに入ればおそらく最年少だろう。しかし、こうした中高年グループの人たちに山で置いていかれることなど珍しくもない。このメンバーも体力にはちょっと自信があったようである。
しかし、自分が先頭に立って山行の企画・運営ができるメンバーは何人いたのだろうか。他人にくっついて歩くだけならば、エネルギーの消費は少ない。マラソンのペースメーカーについていくようなものだ。全部で43名という大所帯とともに考えさせられる。
携帯電話は役にたったか
今回、携帯電話(合計7台所持)が活躍したとも、情報を混乱させたともいえるだろう。メンバーはあくまでも乳頭温泉郷に向かって下山していると信じていた。したがって、携帯で時たまもたらされる位置情報は誤ったものとなり、捜索隊を混乱させた。
さらに、携帯をかける相手が組合や家族であったため、捜索隊は又聞き情報を元に行動せざるを得なかった。なお、携帯の電池も当然のことながら、寒さによって容量は急速に低下する。肌で暖めながら使用したが、電池はそれ程長くは持たなかった。
登山届けのことなど
その他、登山届けが提出されていなくて、最初はメンバーの正確な人数すら把握できなかったこと等、反省点は多いようである。
2005年04月23日(土)追記
2005.04.02(土)初出