左ひざ関節痛にヒアルロン酸注がよく効いた

山を歩き過ぎて膝を痛めた

2007年11月
近医受診時、穿刺(水抜き)160cc

2007年11月27日、専門医受診
左ひざ関節痛のため、しばらく休養します
滑膜ひだ(タナ)障害、レントゲン写真・触診による(MRI未実施)
一種のスポーツ障害(過運動の結果)、階段の上り下り禁止
タナ→棚

第1クール5回(毎週1回ずつ5週連続投与)

2007年12月19日(水)
左膝関節内ヒアルロン酸ナトリウム注射
1クール5回終了(毎週1回ずつ5週連続投与)
約一か月後2クール目開始予定

消炎鎮痛剤/朝夕内服、ヒアルロン酸ナトリウム/週1回注射
溜まった水を100cc、60cc単位で抜いています

第2クール5回(毎週1回ずつ5週連続投与)

2008年01月23日(水)
左膝関節内ヒアルロン酸ナトリウム注射
2クール目投与開始(毎週1回ずつ5週連続投与)
穿刺(水抜き)30cc前後

2008年01月30日(水)
左膝関節内ヒアルロン酸ナトリウム注射
2クール目の第2回目、第3回目
穿刺(水抜き)なし、快復の傾向あり

2008年02月06日(水)

2008年02月13日(水)
関節内に、多少水あり(15cc)

2008年02月20日(水)
2クール終了(毎週1回ヒアルロン酸関注5週連続)
順調に終了(抗炎症剤投与なし)

不整脈にアブレーションが有効だった

不整脈完治(カテーテルアブレーション実施)

2006年5月12日(金)に不整脈の治療を受けた結果、心電図上の異常は全くうそのように消失した。主治医からは、脂質代謝改善(病名:高脂血症)のためにも大いに運動をしなさいと勧められ、山歩きにお墨付きをもらった。今後体調とも相談しながら、以前のように”山野を駆け巡る”喜びに浸ることができる日も近いと思われる。
高周波カテーテルアブレーション(心筋焼灼術)

通常の山行にとって最も大切なこと、それは、無事下山することに尽きる。たとえ100%その目的を達することなく敗退したとしても、無事下山に勝るものはない。だからこそ、一旦山に入ったならば現在位置の確認作業をおろそかにすることはできない。そして、病気やけがによる事故等を防ぐことも大切である。そのために、特に中高年にとっては日ごろの体調管理が欠かせない。

心電図異常が1年近く続いた

ここしばらくの間、心電図上の異常には悩まされ続けた。1年近く前に、現場(広島)で健康診断を実施した結果が本社(大阪)から帰ってきて、異常を認めるとの認識を”かかりつけ医(脂質管理)”と共有するまでに、二か月近く経過してしまった。

それからしばらくして、もっと厳しく管理しましょうということになり、隣の診察室(心臓関係)に紹介された。しかし、そこでも薬には反応することなく、さらに別の専門医を紹介される。

紹介状を持って専門病院を訪ねたところ、即座に入院措置をすすめられ、連休明けを待って入院することになった。そして、結果は完璧なものであった。異常の発生から時間がたつほど治療は難しくなる(正常化は難しい)とのことであり、最終的にやっと間に合った恰好になった。

結局は人と人とのつながりによって結果を得ることができたということになる。そのほか直接間接に多くの先生方のお話をお聞きすることができた。感謝申し上げる次第です。

山行にドクターストップがかかって以来、多くの方々にご心配をおかけいたしました。異常が認められてから、フルパワーの80%程度の心臓の力だったものが、100%回復するとなれば、単純計算では25%のパワーアップとなります。主治医からもかなり楽になりますよ、と言われているので今後が楽しみです。

内服薬には反応しなかった

要するに、薬による治療には全く反応することなく、一種の外科的処置をすることによって、劇的に不都合が解消したということになります。そして、その処置は体力的な負担がほとんどないに等しい方法でした。薬をとるか、別の方策を立てるかは、それぞれのリスクがどの程度あるかにかかってきます。<専門医>による診断と<自分自身>の決断が求められます。

なお、症状が回復しなくて不都合なのは、心臓機能の低下そのものだけではありません。心機能が低下すると血栓ができやすくなり、その血栓が飛んで脳に移行する恐れがでてきます。実際に血栓が脳に飛んだ場合を脳塞栓(脳梗塞の一種)といい、言語障害その他の症状を生じて、正常な社会的活動は阻害される可能性が非常に高くなります。

入院治療(3泊4日)

2006年05月11日(木)

13:00前、一階総合受付、さっそく、胸部レントゲン写真、心電図
13:30過ぎ、5階南病棟553号室
血圧114/80、体温36.2度(全体を通して、血圧良好、体温35.8~36.5度)
薬確認、採血、心電図モニター装着、問診
15:00過ぎ、心エコー
18:00過ぎ、夕食後、主治医説明(病状、治療法について)
入浴、検査承諾書作成

2006年05月12日(金)

9:00頃、病室を出る(絶食)
手術室(確認のため、ご自分のお名前をおっしゃって下さい)
処置開始、左右の鼠径部からカテーテル2本(右静脈、左動脈)
経過期間が長く心房肥大、長さ4cm位で厚みのある筋肉に少し手間取る
電圧が高い場合があり、右肩や喉にかけて違和感、痛みあり
11:30頃、主な処置終了、その後しばらく様子をみて確認作業
12:30頃、術後抗生剤CEZ、鼠径部圧迫をして病室に戻る
13:30頃か?、遅い昼食(普通食ではあるが、両脚を動かせず完全介護)
「細見谷と十方山林道(2006年版)」刷り上りの差し入れ
14:30頃、圧迫緩める
16:50頃、圧迫とる
17:20頃、安静解除(朝9時から両脚を全く動かすことできず腰が痛い)
ベットに起き上がる、立ち上がって歩く(夕食に支障なし)
長女・孫二人(小5、小1)見舞い(紺のズボン、スカート、準制服制度?)
20:00前、点滴終了(2本のみ)、本日入浴なし

2006年05月13日(土)

9:00過ぎ、シャワー
8階喫茶室訪問、北面100m道路の向こうに広島平和記念資料館をみる
さらにその先には、原爆死没者慰霊碑そして原爆ドームが一直線に並ぶ
小雨の降る広島平和公園を、今日も多くの修学旅行生が訪れている
14:00、ボランティアコンサート、平塩清種さん(能美島出身)、1時間くらい
母見舞い
主治医より、4週間後を目安に逆紹介(紹介状は事前に郵送)
随分と早めに退院できそうだったが、家に帰ればパソコン処理に没頭することは間違いなく、辛抱して翌日までベット上で安静を保つことにした

参考

2006/04/21文部科学省に答申(重文指定)
広島平和記念資料館(1955年開館)、丹下健三設計
世界平和記念聖堂(1954年竣工)、村野藤吾(+近藤正志)設計
上記広島の2件は、いずれも戦後建築初の重要文化財(建造物)指定
(重文指定答申を期に、資料館~慰霊碑~ドームが一直線に並んだ所を、同病院屋上からみた写真が中国新聞紙上に掲載された)

2006年05月14日(日)

朝食後、午前中で退院(妻、長女、小1)
長男勤務先訪問、次期購入車種検討
帰宅

熱中症|高校生の夏、日射病に倒れた

高校生の夏、日射病に倒れた

高校生の夏(1年生か2年生の時)、私は「日射病」に倒れた経験がある。夏の炎天下で陸上競技の練習をしていたときのことである。幸いにして、この時には顧問の先生に木陰に連れて行かれて少し休んだら回復したように思う。医者まで行った記憶はない。

これが「熱射病」と呼ばれる状態まで至ると、死亡する危険性が非常に高くなる。異常な体温上昇(時には40℃以上)があり、運動障害、意識障害(応答が鈍い等)などが出てくると危険だ。こうならないために早め早めの処置が大切である。

熱中症とは

最近、何かと熱中症が話題になることが多い。車に幼小児を置きっぱなしにしてパチンコに「熱中」するなどは論外である。それはともかく、熱中症とは、一般的に暑さ(高温環境)が直接の原因となって起こる症状の総称として使われている。その中で日射病とは、特に太陽の直射日光によって引き起こされるものをいうが、最近では、これも熱中症と表現されることの方が多いようだ。

スポーツなどの運動をすると筋肉などから熱が発生する。その量は安静時の10倍以上になることもあると言われている。生体側ではこれに応じて、皮膚の血管を拡張させてそこを流れる血液量を増やす。また汗を出して、余分な熱を身体外へ放散させる。このような生理的な仕組みによって体温はほぼ一定の範囲内に保たれる。この仕組みが高温下でうまく機能しなくなった時に熱中症に至る。

熱中症を防ぐには

人体の約65%(重量比)は水分が占めている。生命一般にとって水ほど大切なものはない。汗として体外に放出され放熱に使用された水分を直ちに補給することは、高温環境下で多量の汗をかいた時には特に重要である。

私の高校生時代、運動中はできるだけ水分を補給するな、という考え方の方が強かったかもしれない。部活動中は身の回りに水を入れたヤカンを必ず置いてはいたが、水分摂取の大切さについて考えることはあまりなかったように思う。

失われた水分は補充しなければいけない

  • 塩分をいっしょにとらなければ意味がない
  • 糖分もいっしょにとるとよい

運動時、必要に応じて水分をとらなければいけない、というのは必ずしも正しい表現ではない。水分と同時に塩分をとることが大切なのである。汗をかくと塩分もいっしょに失われる(汗はなめると塩辛い)。体内の塩分濃度が薄まったところに水分だけ補給すると、ますます塩分濃度(具体的には、特にNaナトリウム)が薄くなり、心臓の働きが弱ってしまうのである。

市販のスポーツドリンクには食塩(ナトリウムイオン)が含まれている。運動時にはスポーツドリンクを大いに活用するとよい。また、飲むタイミングは、のどが渇いたなと思った時ではすでに遅く、のどが渇いたと感じる前に、こまめに少しずつが理想のようである。

それでも山へ行くなら

私自身は、山でスポーツドリンクを飲んだことはない。いつもお茶を持参している。この前(2002年8月上旬)は、1リットル入りのタッパウェア2本にお茶を入れて凍らせておき、さらにペットボトル1本(500ml)のお茶を持っていった。そして、塩をなめながら行動した。水分摂取量が2リットルを超えると、ちょっとハードに行動したなと感じるようだ。摂取量(言い換えると残りの水分量)と行程を常に計りにかけて、エスケープすることも考えながら行動するようにしている。

出発前に体調を整えておくこと

  • 行動にあたって無理をしないこと
  • 休憩と水分(+塩分)補給をこまめにすること
  • 炎天下では直射日光を避けるために帽子をかぶること
  • 体の熱を効率良く外へ逃がすために風通しの良い服装を心がけること

など、安全で楽しい登山でありたいものです。

2002/08/11初出

医療過誤

カルテの見間違い

先日歯医者に行った。診察室への呼び込みの段階で名前を間違えて呼ばれそうになった。ただ単なる読み間違い(”下”の名前の漢字二文字をひっくり返して呼ばれることがたまにある)であり、無事診察台に座ることができた。

そして歯科医師(主治医の代理)が言う。今日は”下”の方をやりましょう。”下”は前にやったよ。今日は ”上”のはずだけど。カルテの見間違いであった。

柳田”邦男”(ノンフィクション作家)さんの講演内容

上記の笑えないエピソードは、柳田邦男さんの講演内容(下記)そのままの光景である。

2001.01.27(日)13:00-14:30、広島国際会議場(平和記念公園内)
第25回日本眼科手術学会総会、市民公開講座「患者の安全と医の心」

講演内容を私なりにまとめると次のようになる。

医療は、患者と医療関係者による「共同作品」

これからの医療は患者と医療関係者との協力作業で作られる「共同作品」であるべきだ。

従来の“医者にすべてお任せ”の時代は終わった。患者自身が自分の人生は自分のものとして、自分の生き方にあった合理的な治療方針を自ら意思決定しなければならない時代である。

患者に求められるのは、“自分の病気について正しく理解すること”である。

しかしながら、時代はますます専門化が進んおり必要とする情報量は余りにも多い。主治医によるインフォームド・コンセント(説明-理解、納得、同意)が最も大切なことは言うまでもないが、それだけでは不足する場合も多い。必要十分な情報をどこからどのようにして入手するかが問題である。これからの医療はまさに一種の情報戦といえる。

より良い治療を受けるためには、医師との会話をスムースにすることである。

そのためには、患者の側にも準備が必要である。まず第一に、医師の名前(フルネーム)、専門をきちんと聞いておくことである。そのほか、幾つかの注意点があるが、つまりは、自分の病気とその治療内容(方針)について正しく理解するためにはどうしたらよいかということになる。

患者の安全確保のために

疑問があれば直ちに質問しなければいけない。

左右の手足を間違えて切断されてからでは遅い。悪くない臓器を摘出されてからでは遅い。

患者の安全確保のため、患者をフルネームで呼ぶこと、またそれだけでは不足で、〇〇町一丁目一番地の何々さんと呼ぶべきである、という提言がなされた。医療が患者と医療関係者が共同で作る「作品」である以上、患者の尊厳を守るためにフルネームで呼ぶことは当然である。さらに、同姓同名の患者取り違えによる医療事故も多く発生していることから、押さえとして住所確認まで必要だ、というのである。

以上のようなポイントを中心として、患者の安全を守るために、患者の心がけるべきことと医療関係者(特に医者)の心得について述べたものである。ソフトな語り口ながら、ジャーナリストとしての豊富な経験からくる説得力のある講演であった。また、提示資料は、手書きのレジメ(OHP原稿)に紹介図書(写真)を加えただけのスッキリとしたもので、これまた参考になるものであった。

余談(ジャーナリスト柳田”邦夫”さん)

2001年10月21日にアフガニスタンに不法入国し、翌22日にタリバン政権に拘束された(11月16日解放)柳田大元さん(37)は、「ジャーナリズム読本」「書き言葉のシェルパ」などの著書があるジャーナリスト柳田”邦夫”さん(88年に死去)の長男。義兄はノンフィクション作家の野村進(45)さん(97年に「コリアン世界の旅」で大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞)。

インフルエンザで3日間寝込んだことがある

平成12年2月上旬(2000年)、私は病気に倒れた。金曜日の夕方、急に喉がいがらっぽくなって咳を繰り返すようになる。早めに帰宅して軽く食事を取った後寝込んで、月曜日の朝まで全く起きあがることができなかった。月曜日も朝出勤の準備をしてネクタイまで付けたが、眩暈がして再び寝込んだ。ふらふらしながらも何とか会社に出たのは火曜日からである。

私と相前後して何人かの社員が会社を休んだ。そうした時期と症状からして、私を襲ったのがインフルエンザであることはほぼ間違いないであろう。生涯最大のダメージであった。

インフルエンザのことを昔は流行性感冒といっていた

インフルエンザは、日本では「流行性感冒-流感」と呼ばれていた時期があることからも分かるように、風邪すなわち「感冒」の一種として捉えられることも多く、深刻な病気と受け取っている人は少ない。

しかし、インフルエンザの流行は、過去何度か世界的規模で繰り返されてきており、その度に多くの生命が奪われている。これに対して、普通の風邪で死亡率が高まるほどの流行をみることはない。

インフルエンザは、ただの風邪ではない

風邪(かぜ症候群)とは、ライノウイルスやコロナウイルス、RSウイルスなど種々のウイルス感染によって起こる上気道炎(鼻や喉の炎症)の総称であり、全身症状が出ることはあまりない。

インフルエンザは、インフルエンザウイルスという特定の微生物(ウイルス)によって起こる呼吸器疾患である。症状が軽いうちは「かぜ症候群」と区別しにくいが、インフルエンザでは、39度以上の発熱、頭痛、関節痛、筋肉痛など全身の症状が強く現われ、気管支炎、肺炎などを併発して重症化することも多く、65歳以上の高齢者の死亡率を高める。

インフルエンザウイルスにも種類がある

インフルエンザウイルスは、RNA型のウイルスで、内部蛋白質(核蛋白質-NP、マトリックス蛋白質-M1)の抗原性の違いにより、A型・B型・C型に分けられる。

A型やB型のインフルエンザウイルスの表面からは、HA蛋白(ヘマグルチニン、赤血球凝集素)、NA蛋白(ノイラミニダーゼ、レセプター破壊酵素)という2種類の蛋白質がウニの棘のように突きでている。さらに、A型では3つめの表面蛋白質、M2蛋白質が存在する。

A型の表面蛋白質には複数の抗原型がある。ヘマグルチニン(HA)で5種類、ノイラミニダーゼ(NA)で9種類の抗原型が発見されており、A型はその組み合わせによって細分化される。B型ではHA、NAともに1種類のみで組み合わせによる細分類は行われない。

C型の表面蛋白質は、ヘマグルチニンエステラーゼ(HE)1種類のみであり、抗原型の違いも存在しない。

A型、B型およびC型の感染力

A型はヒトを含む哺乳動物および鳥類に感染する。B型とC型に感染するのはヒトのみである。A型に感染した場合の症状が最も重く、しばしば世界的な規模で大流行を引き起こす。B型もA型同様流行を起こすが、C型は起こさないとされている。

原則として、ヒト型のウイルスはヒトに、トリ型のウイルスはトリに感染するが、ブタはトリ型、ヒト型、ブタ型に感染し、異なる遺伝子が混ざり合って生じるとされるウイルスの大変異に大きな役割を果たしていると考えられている。

20世紀の大流行(パンデミック)-いずれもA型

1918年、スペインかぜ(H1N1亜型)
全世界で4000万人死亡(日本38万人)
全世界人口の約50%感染、約25%発症したとされている
健康な青年層での死亡率が高い点に特徴がある
1957年、アジアかぜ(H2N2)
1968年、香港かぜ(H3N2)
1977年、ソ連かぜ(H1N1/USSR)
現在:A型(H1N1、H3N2)およびB型の3種類

ワクチン

インフルエンザウイルスに免疫があるかどうかは、HA・NA蛋白に抗体を持つかどうかにかかっている。したがって、インフルエンザ予防のためにインフルエンザワクチンを投与することは非常に有効な手段となる。

そのためには、投与するワクチンが、流行予想の型(HN型)と合っていること、さらにはHN型が一致するだけでなく、その中の細かい変異まで一致する株を使用することが求められる。

ちなみに、今年(2000年)のワクチンは、A香港型(H3N2)のシドニー株、Aソ連型(H1N1)の北京株、B型の山東株を混合したものである。

平成13年度(2001/02シーズン) インフルエンザHAワクチン製造株
A/New Caledonia/20/99(H1N1)「Aソ連型」
A/Panama/2007/99(H3N2)「A香港型」
B/Johannesburg/5/99 「B型」

サーベイランス

現在どの型のインフルエンザが存在しているのか、これからどの型のインフルエンザが流行しそうか、世界的規模で日々監視が続けられている。インフルエンザウイルスの変異(進化)のスピードは非常に早いとされている。HN型の組換えが起こるような大変化をもしっかり監視して大流行を未然に防ぐ為にも、サーベイランスが非常に大切である。

新型インフルエンザ(H5N1)集団発生(1997年)

香港にて、新型(H5N1)による集団発生(感染18名、死亡6名)
従来から人間が感染するのは H1~3、N1、2とされてきた
それ以外のH5型による初めての感染であり、今後も注意が必要と考えられる

抗ウイルス薬

平成10年11月、我が国では、塩酸アマンタジン(商品名:シンメトレル)が、A型インフルエンザ用の抗ウイルス剤として薬価収載された。(A型のみにしか効果がないことは重要-M2チャネル阻害薬)

平成13年2月(2001年)、リン酸オセルタミビル(商品名:タミフル)-カプセル、ザナミビル水和物(商品名:リレンザ)-吸入式が、A型又はB型インフルエンザウイルス感染症治療薬として薬価収載された(ノイラミニダーゼ阻害薬)。