峠三吉

詩人:広島にて被爆
代表作:「原爆詩集」(序)”ちちをかえせ、ははをかえせ・・・”


峠 三吉『原爆詩集』2016年(岩波文庫)

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略歴

1917年(大正6)、大阪府豊能郡岡町(現在の豊中市岡町)生まれ
1935年(昭和10)、広島県立広島商業学校卒業
1945年(昭和20)、広島にて被爆
1951年(昭和26)、「原爆詩集」発表、”ちちをかえせ、ははをかえせ・・・”
1953年(昭和28)、死去(享年36歳)

生後(大阪府生まれ)まもなく家族と共に父の故郷広島に転居。広島県立広島商業学校(現・広島県立広島商業高等学校、広商:ひろしょう)卒業(1935年、昭和10年)。在学中から詩や短歌、俳句などの創作活動を始めている。

広島に原爆が投下された時(1945年8月6日)、爆心地から約3km離れた広島市翠町(現在の南区翠町、みどりまち) の自宅で被爆した。被爆直後の被害としては、ガラス破片で多少の負傷をしただけであったが、親戚や知人を探して広島市中心部を歩き回ったため原爆症に罹る。

「ひろしま通になろう」p.113は、峠三吉について次のように述べている。

(峠三吉は)戦後、原爆症に苦しみながら広島青年文化連盟や広島詩人協会、新日本文学会、われらの詩の会などで積極的に活動。トルーマン米国大統領が朝鮮戦争での原爆使用を示唆したため、1951年(昭和26)、「ちちをかえせ、ははをかえせ」の序で有名な「原爆詩集」を執筆した。

療養所のベッドで「原爆詩集」を書く

峠三吉は、幼いころから肺疾患を患っていた。時々喀血することがあり、1950年(昭和25)11月には国立広島療養所に入院している。結核ではないが、肺に空洞を持ち喀血することが多かったので、手術の可能性をさぐるための入院であったという。

注:国立広島療養所=現・独立行政法人国立病院機構東広島医療センター(広島県東広島市西条町)

その入院中に、11月30日のトルーマン声明(朝鮮戦争で原爆使用も考慮と米・トルーマン大統領発言)に接する。三吉はベッドの上で、年明けの1月から3月にかけて抗議の詩を書き上げた。

青空文庫、図書カード:No.4963、「原爆詩集」の作品データによれば、

当時、アメリカ軍はプレスコード(日本に与うる新聞遵則)を指令し、進駐軍への批判、原爆の惨状を訴えることを禁止しており、「有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である」(原爆詩集「あとがき」)と記しているような状態の中で書きつがれた。

また(和子夫人の手記)によれば、「窓ガラスに歯ミガキ粉を溶いてぬり、夜は新聞紙などをピンで止め・・・・・守衛の目を盗んで午前1時ごろまでスタンドの下で書いた」という。

ガリ版刷り自費出版、装丁:四国五郎

「原爆詩集」は、当初、東京の大手出版社に持ち込まれたが、すべて断られている。そこで、孔版印刷(ガリ版刷り)で、1951年9月(昭和26)に緊急出版された。四国五郎の装丁による自費出版(500部)だった。

「原爆詩集」は、ベルリンで開かれた世界青年学生平和祭に日本代表作品の一つとして送られ、世界的な反響を受ける。そして、翌年(1952年)になって、新たに5編の詩を追加して、青木書店から出版(青木文庫)された。

「原爆詩集」は、その後版を重ね、青木書店の最新版には、『新編 峠三吉原爆詩集(解説 中野重治・鶴見俊輔)』(青木書店、1995年)がある。

肺葉切除手術中に死去

峠三吉は、「原爆詩集」後の新たな詩集の発表その他、今後の活動を目差して、肺葉切除術を受ける決心をする。しかし、それは当時必ずしも安全性の高い手術ではなかった。1953年3月(昭和28)、 三吉は「(国立広島療養所に再入院して)持病の気管支拡張症根治のため臨んだ肺葉切除手術中に死去した」(ひろしま通になろうP.113)。享年36歳。

女優・吉永小百合さんの原爆詩朗読

女優の吉永小百合さんは、核廃絶を訴えた原爆詩の朗読をライフワークとしている。テレビドラマ『夢千代日記』出演(1981年、NHK人間模様)がきっかけだという。1997年(平成9)には、自らが企画を手がけた朗読詩集CD「第二楽章」VICL-60050(ビクター・エンターテイメント(株))を発売している。その冒頭で読まれているのが、「原爆詩集」序の”ちちをかえせ ははをかえせ・・・”である。

参考資料

  • 詩碑「にんげんをかえせ」
    広島市平和公園内(1963年8月6日除幕)
  • 「峠三吉顕彰詩碑」
    大阪府豊中市立岡町図書館正面
  • 青空文庫、図書カード:No.4963、「原爆詩集」
  • 峠三吉『原爆詩集』/末尾に峠をめぐる人々の回想など
    例えば、下記、好村冨士彦氏の一文など
    http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/TOGE/TogePoems.html
  • 『原爆詩集』の成立に立ち会う
    「広島文学資料保全の会」代表幹事・「広島に文学館を!市民の会」幹事 好村冨士彦
    「私にとって、一冊の本」、『新日本文学』2002年3月号、66頁-68頁。
    http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/hlm-society/Genbakusishu.html
  • 峠三吉原爆詩集、下関原爆展事務局
  • 峠三吉没後50年の会・広島文学資料保全の会の抗議に対する下関原爆展事務局の見解
山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年4月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)