考古学

吉野ヶ里遺跡

投稿日:2005年1月21日 更新日:

吉野ヶ里遺跡とは

吉野ヶ里遺跡は、北部九州・佐賀県の丘陵上(神埼郡神埼町、三田川町及び東脊振村)にあり、全国でも最大規模の環壕集落遺跡として知られている。遺跡は弥生時代をとおして存在しており、「ムラ」から「クニ」への変遷の跡をたどることができる非常に貴重な遺跡である。

吉野ヶ里遺跡は、1991年(平成3年)5月28日に国の特別史跡に指定された。そして、国営公園(吉野ヶ里歴史公園)として、周辺の佐賀県営公園とともに、一体的な都市公園として計画・整備されている(総面積約117ヘクタール)。

吉野ケ里歴史公園では、「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」の吉野ヶ里を想定して復元整備を行っている。魏志倭人伝のいう「クニ」を想定しているといってよいだろう。V字型環壕はもちろんのこと、弥生時代では最大規模とされる大型建物跡の復元(木造三層二階建ての”主祭殿”)などを見ることができる。

プロジェクトX~挑戦者たち~(NHK)

プロジェクトX~挑戦者たち~
アンコール「王が眠る、神秘の遺跡」
~父と息子・執念の吉野ヶ里~
12月07日(火)21:15~22:00放送(2004年)

2週連続して「プロジェクトX~挑戦者たち~」を見た。番組終了後インターネットで調べたところ、第76回(2002年01月15日)放送分に新撮影を加えて再構成したものだという。

1986年(昭和61年)、吉野ヶ里で巨大工業団地建設計画に伴う「開発調査」が開始された。開発調査とは、建設区域に遺跡があるかどうか調査することを、文化財保護法によって義務付けたものであり、調査は工事をする側の責任において行う必要がある。という訳で、佐賀県庁文化課では吉野ヶ里発掘プロジェクトを立ち上げ、リーダーを含めて6名のメンバーで調査を開始した。

吉野ヶ里は、昔から畑を耕せば土器がでてくるというような土地であった。しかし、そこが古代の王国跡だとは誰も思ってはいなかった。そうした中でただ一人、七田忠志(地元神崎高校の社会科教師)だけは違っていた。生涯をかけて(1981年、昭和56年没)独力で発掘調査を続けたのだ。その息子が吉野ヶ里発掘プロジェクトのリーダーとなった七田忠昭である。

発掘は順調に進んだ。忠昭は父の夢みた王国が具体的な姿を現してくるのを素直に喜んだ。ただし、この調査は「開発調査」だ。発掘が終わり次第遺跡は壊されてしまい、二度と再び人々の目に触れることはない。現に、発掘現場周辺ではブルドーザーが準備活動を始めていた。調査を終了した地点から、順次工業団地建設に向けて整地するためである。

発掘を進めるうちに忠昭は確信するようになっていた。この遺跡は絶対に壊してはならない。そこで、あらゆる手立てを尽くして遺跡を破壊から守ろうとした。そして、最終的に吉野ヶ里遺跡が永久保存されるきっかけとなったのは、佐賀県知事・香月熊雄の判断であった。

吉野ヶ里遺跡は、北部九州・佐賀県の脊振山系から舌状に延びた丘陵上(神埼郡神埼町、三田川町及び東脊振村)にあり、全国でも最大規模の環壕集落遺跡として知られている。遺跡は弥生時代を通して存在しており、「ムラ」から「クニ」への変遷の跡をたどることができる非常に貴重な遺跡である。

吉野ヶ里遺跡は、1991年(平成3)5月28日に国の特別史跡に指定された。さらに、平成4年10月27日の閣議決定により、国営公園(吉野ヶ里歴史公園、面積54ヘクタール)として国土交通省によって整備されることになった。

また、本公園の周囲は、国営公園と一体となった遺跡の環境保全、及び歴史公園としての機能の充実をはかるため、県営公園(約63ヘクタール)として佐賀県によって整備が進められている。すなわち吉野ヶ里遺跡は、その周囲も含めて総面積約117ヘクタールの区域が、一体的な都市公園として計画・整備(継続中)されているのである。

さて、吉野ヶ里遺跡では、弥生時代前期においてすでに環壕を持った集落が出現しており、「ムラ」から「クニ」へ発展する兆しをみせている。中期には、丘陵を一周する大規模な外環壕が形成され、後期に至って、環壕がさらに2か所の内郭(北と南)をもつようになった。

北内郭と名づけられたゾーンは、二重の壕と城柵(土塁と柵)で囲まれており、複数の大型建物跡が発見された。このうち弥生時代では最大規模とされる大型建物跡は、祭祀場であったと考えられており、木造三層二階建ての”主祭殿”として復元されている。

吉野ヶ里遺跡は、弥生時代後期に環壕集落の形態を最も整え最盛期を迎えたものと考えられている。そこで、吉野ケ里歴史公園では「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」の吉野ヶ里を想定して復元整備を行っている。魏志倭人伝のいう「クニ」を想定しているといってよいだろう。

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