零戦(零式艦上戦闘機、ゼロ戦)

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零戦(ゼロ戦)とは

零戦(ゼロ戦)とは、零(レイ)式艦上戦闘機のことで、太平洋戦争前から敗戦まで5年にわたって日本海軍のエース機であった。紀元2600年(昭和15年、西暦1940年)に制式化されたもので、略称としては零戦(レイセン)と呼ばれるべきであり、実際にもそのように呼ばれていたようである。しかし、敵対する欧米諸国から、その性能に対する恐怖と畏敬の念を込めて「ZERO・ファイター」という呼称が与えられたことから、「ゼロ戦」という言い方が一般化している。

零戦(ゼロ戦)は美しく、そして強かった

零戦(ゼロ戦)の開発着手から完成までは驚くべき速いペースで進み、太平洋戦争開戦前にすでに中国大陸で実戦経験を積んでいた。この点、開戦の日に間に合わなかった「戦艦大和」とは対照的である。なお、太平洋戦争開戦当時の零戦(ゼロ戦)は540機揃っていたという。

1937年(昭和12年)5月19日、十二試艦上戦闘機として計画要求案提出
1940年(昭和15年)7月20日、正式に海軍機となる。
1940年(昭和15年)9月13日、中国大陸の重慶上空での空中戦で大勝利
1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争始まる。

零戦(ゼロ戦)の設計主務者は、若き堀越二郎(三菱重工、当時34歳)である。飛行機設計の経験は零戦(ゼロ戦)でわずか3機目、三菱重工自体、飛行機製作の実績はほとんどなく、彼以外の技術スタッフも大半が20代半ばであった。

当初、設計原案は三菱重工と中島飛行機(戦闘機の名門)の2社に示された。しかし、中島飛行機は、海軍のあまりに高い設計コンセプトに、「実現不可能」として競争試作から降りてしまった。 零戦(ゼロ戦)の成功に関しては、この海軍の過酷な要求をバランスよく取り入れて実現した堀越二郎個人の能力をまず第一に高く評価すべきであろう。

1941年(昭和16年)12月8日、零戦(ゼロ戦)は真珠湾攻撃に参加した。その零戦(ゼロ戦)が戦争末期、特攻機として250キロ爆弾を抱いて敵艦船めがけて突っ込んでいった。

このように零戦(ゼロ戦)は太平洋戦争期間中、第一線で酷使され続けた。その間に、”敵”戦闘機の能力向上はめざましく、「積乱雲と 零戦(ゼロ戦)は避けて飛んでよい」とまで恐れられた優位な立場は長くは続かなかった。

もちろん零戦(ゼロ戦)の改良も頻繁に行われたが、それらは決して改良にはつながらなかった。むしろ航続距離(零戦-ゼロ戦の最大の特徴と考えられる)は以前より短くなり、軽快性は失われていった。

零戦(ゼロ戦)は登場したときすでに改良の余地のない完成品であったといえるのかもしれない。その零戦(ゼロ戦)の小手先の手直しに終始し、次期戦闘機の開発を怠った日本海軍首脳陣の無能と怠慢の責任は大きい。

零戦(ゼロ戦)は美しく、強かった。いやむしろ、強いものは必然的に(機能的な)美しさを持つというべきかもしれない。零戦(ゼロ戦)は近代から現代にかけて有色人種が創り出した技術品のなかでもっとも優れたものといえるだろう。これだけのショックを欧米先進国に与えたものは他にみあたらない。

参考資料

いま「ゼロ戦」の読み方、日下公人+三野正洋 著、ワック出版部
零式艦上戦闘機、マーチン・ケイディン著、並木書房
(エースパイロット、坂井三郎氏序文)

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