鈴ヶ峰東峰312mから見た瀬戸内海(鈴ヶ峰183度)
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あまのじゃく伝説とは
あま‐の‐じゃく【天邪久・天邪鬼】、広辞苑第六版(CD-ROM版)岩波書店 より
- 昔話に出てくる悪者。人に逆らい、人の邪魔をする(一部略)
- わざと人の言に逆らって、片意地を通す者
- 仁王や四天王の像がふまえている小鬼
広島市佐伯区五日市は、波静かな瀬戸内海に面した町である。その沖合い3kmあまりの海上には、御椀を伏せたような形をした津久根島(標高24m)という小島が浮かんでいる。そしてその島に、あまのじゃく伝説の主人公の一人である湯蓋道空(ゆぶた・どうくう)の墓がある。室町時代のものという。
道空夫婦には道裕(どうゆう)という息子がおり、親子は海岸近くの海老山(かいろうやま)という標高53.7mの小山付近で暮らしていた。
「ひろしま通になろう」p.57によれば、「道裕は、親のいうことにことごとく逆らう変わり者。「おとなしくしろ」と言われれば大暴れをし「海で魚を捕れ」と言われれば「山で鳥を撃つ」といった具合で、村人は「あまのじゃく」というあだ名を付けていた」(引用ここまで)。
今際の際に道空がいう。「わしが死んだら、あの津久根島に葬っておくれ」。
これを聞いた息子の道裕は考えた。「今までわしは親に逆らってばかりいた。せめて遺言の言い付けだけには従おう」。こうして息子の道裕は、道空の墓を津久根島に建ててしまった。
道空の本心は違っていた。自分の墓は海老山に建てて欲しかったのだ。いつまでも村人の近くにあって瀬戸の海を眺めていたかった。
「息子がわしのいいつけを守ったことは一度もない。海の小島に墓を建てろと言えば、それと反対に、海老山に建ててくれるに違いない」。最後まで親の気持に逆らい続けた道裕であった。
私と津久根島
小学生か中学生のころ、私の同級生が津久根島へ行ったという話しを聞いたことがある。昭和30年代半ばのことであるから、多分、船外機はなくて魯を漕いで行ったものと思われる。だれか大人がついていたのであろう。
私たちは、津久根島のことを昔から「あまんじゃく」と呼んでいる。最近では、その近くを遊覧できる広島湾ミニクルーズ(約30分)があり、「あまんじゃくクルーズ」という名前が付けられている。広島市西区の大型商業施設マリーナホップの桟橋を発着点とするもので、2006年5月20日に運航開始されている。
参考資料
- 広島に伝わる『あまんじゃく伝説』(No.1)
- 語源由来辞典
- [スケッチ]庚午橋より津久根島、宮島を見る/平山文俊(やすとし)さん
- 平山文俊さんの『スケッチで綴った「港のまち あちこち展」』 – YouTube(参考まで)