未分類

原民喜

投稿日:2018年5月28日 更新日:

詩人(広島にて被爆)
代表作「夏の花」

略歴

1905年(明治38)、広島市幟町(現在の中区に含まれる)生まれ
1923年(大正12)、広島高等師範学校付属中学、四年終了
(大学予科受験資格獲得)
1933年(昭和8)、慶應義塾大学英文科卒業
1945年(昭和20)、広島にて被爆
1947年(昭和22)、代表作「夏の花」発表
1951年(昭和26)、死去(享年45歳)

代表作『夏の花』誕生

作家、詩人。妻を結核で失った翌年の1945年(昭和20)千葉から帰広、同年8月6日に生家で被爆する。代表作『夏の花』は、被爆後の惨状をメモした手帳を基に描いたもので、被爆3日後までの詳細な記録文学となっている。

この惨劇を書き残さなければならない、という強い使命感が書かせたのであろう。妻の大病で一度は失った創作意欲をかきたて、作品はその年のうちに書き上げられている。ただし、GHQの検閲を考慮して、実際の発表は1947年(昭和22)「三田文学」6月号となった。その間に、民喜は再び上京して『三田文学』の編集に携わるようになっていた。

原民喜は、『夏の花』以後の記録を、引き続いて「三田文学」から同年11月に、『廃墟から』と題して発表している。さらに、1949年(昭和24)には、被爆以前について描いた『壊滅の序曲』(近代文学)1月号を発表しており、これら三作品で『夏の花』三部作を成している。

原民喜の生家

原民喜の生家は、現在の幟町カトリック教会(広島市中区幟町4-42)の敷地内にあったという。具体的には、同協会にある世界平和記念聖堂の南の方角。中国新聞記事2009/04/27「ひろしま幻視行No.10」野木京子

ただし、同記事中の「千葉県から幟町の生家に疎開していたときに被爆」という記述は、多少ニュアンスが異なるか(妻を失ったショックで帰広が真相?)

青空文庫、詩碑、そして献水

原民喜の作品の多くは、「青空文庫」(インターネット電子図書館)で読むことができる。”青空文庫早わかり”によれば、「青空文庫は、利用に対価を求めない、インターネット電子図書館です。 著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキストと XHTML(一部は HTML)形式でそろえています」。

原民喜の詩碑の一つが、広島市佐伯区城山二丁目の茶臼山城跡に建っている。民喜の詩「永遠のみどり」を刻んだ石碑である。また、茶臼山城跡には、不老長寿延命水と名付けられた湧水が湧き出ており、毎年8月6日の平和記念式典に先立って行われる献水として使用されている。(市内16か所の水を使用)

2009年07月03日記:
佐伯区からは、最近では竜神釜(屋代川)の水を献水しているようである。

献水は、昭和49年の平和記念式典から、式典前の行事として取り入れられました。献水には、原子爆弾により亡くなられた方の遺族や、被爆者の水を求める声を聞きながら、水を与えることができなかった方の無念の気持ちなど、市民のさまざまな思いが込められています。平和記念式典とともに、原爆で亡くなられた方の霊を慰め、恒久平和への決意を新たにする大切な行事です。

(広報紙「ひろしま市民と市政」佐伯区だより、2004年8月1日号より)

参考資料

  • 青空文庫
  • 原民喜(ウラ・アオゾラブンコ)
    回想録多数あり:遠藤周作、佐々木基一、庄司総一、中村真一郎、埴谷雄高、藤島宇内、丸岡明、山本健吉(2編)
    http://uraaozora.jpn.org/hara.html
  • 広報紙「ひろしま市民と市政」、献水(複数項目あり)
  • カルモチン(ブロムワレリル尿素)

-未分類

執筆者:

関連記事

no image

医療過誤

このページの目次ですカルテの見間違い柳田”邦男”(ノンフィクション作家)さんの講演内容医療は、患者と医療関係者による「共同作品」患者の安全確保のために余談(ジャーナリスト柳田& …

no image

峠三吉

詩人:広島にて被爆 代表作:「原爆詩集」(序)”ちちをかえせ、ははをかえせ・・・” このページの目次です略歴療養所のベッドで「原爆詩集」を書くガリ版刷り自費出版、装丁:四国五郎 …

no image

「本多勝一」論

このページの目次です本多勝一氏について本多勝一(ほんだ・かついち)本多勝一「冒険と日本人-冒険的な現象に対する日本人の社会的反応について-」の記載場所変遷などについて本多勝一ルポルタージュとは何であっ …

no image

上関原発を考える

2011年3月27日(日)14時~ 上関原発を考える学習会「海と原発」 講師:佐藤正典(鹿児島大学理学部教授) 主催:廿日市・自然を考える会 場所:廿日市市あいプラザ3階講座室 同学習会に参加して、そ …

no image

力道山-空手チョップの英雄

このページの目次です力道山と私力道山年譜力道山殺傷の真相北朝鮮と力道山参考文献街頭テレビ 力道山と私 私が力道山の名前を知ったのは、たぶん1954年(昭和29)夏、小学校一年生のころである。場所は広島 …