日米間のテレビジョン衛星中継(実験)は、1963年11月(昭和38)に始まった。
東京五輪(1964年10月開催)の前年のことである。
そして、この実験放送初日に飛び込んできたのが、ケネディ米大統領暗殺という衝撃的なニュースであった。
なお、当時は衛星中継ではなく“宇宙中継”と呼ばれていた。
さて、当時高校1年生だった私は、その時の映像に日本語のナレーションが入っていたこともよく覚えている。
声の主は、前田治郎さん(当時35歳、毎日放送ニューヨーク特派員)だった。
後年縁あって、私のこのページで直接お世話になろうとは夢にも思わなかった。
前田治郎(まえだ じろう=毎日放送元国際室長)さん、2014年3月12日(平成26)、呼吸不全にてご逝去(享年85歳)。
心よりご冥福をお祈りいたします。
注)以下の前田リポートについては、朝日新聞縮刷版のほか、前田治郎さんご本人からご提供いただいた資料(およびコメント)を大いに参考にした。
追記:2024年11月
KDDI MUSEUM(東京都多摩市鶴牧)に行ってきた。
前田治郎さんの娘さん一家が、同MUSEUMを初めて見学に訪れるというので、
同行させていただけることになったものである。
MUSEUMは、2020年12月1日一般公開を開始している。
しかしながら、コロナ禍ということもあり、この日まで訪問がかなわなかったとのこと。
私もMUSEUMは初めて、ご家族とお会いするのも初めてであった。
改めて、歴史の貴重な一コマを、ご一家の中でしっかりと受け継がれている
その想いに感動した一日であった。
追記:2020年12月
今年2月、KDDI MUSEUM(東京都多摩市鶴牧)を設立準備中の関係者から、当Webを見たと言って突然のメールを頂いた。
同MUSEUMは、日本における国際通信の歴史などを紹介する史料館として、近々リニューアルオープン予定とのことである。
そして、その中の衛星通信コーナーの映像で、前田治郎さんのナレーションを使いたいとのこと。
そのためには、ご遺族の承諾が必要であり、私がその仲立ちをすることになった。
先様からは早速ご快諾を頂き、直接二人でご挨拶に伺いたかったのだが、このコロナ禍で延び延びになっている。
ケネディ暗殺さる
米国大統領ジョン・F・ケネディ(JFK)は、1963年11月22日(昭和38)、アメリカ中部標準時間(CST)午後0時30分、テキサス州ダラス空港からオープンカーで市内の演説会場に向かう途中、何者かに狙撃され病院に運ばれたが30分後に死亡した。
事件が起きたのは、アメリカ東部標準時間(EST)午後1時30分、日本時間では23日(土)午前3時30分のことであった。
ケネディ大統領が暗殺されたちょうどその日の朝、すなわち、日本時間11月23日朝(米国時間では22日夕方)、通信衛星を使った日米間初のテレビ宇宙中継(実験)を行うことで、政府間の正式合意(11月19日)が成立していた。
実験放送は成功した。
そして、それからちょうど1年後、東京オリンピック(1964年10月開催)の映像が全世界に向けて発信されることになる。
東京オリンピックを成功させること、それによって戦後復興した日本の姿を全世界にアピールすること、そのためには、何としてでも世界初のオリンピック映像生中継を成功させたい。
国をあげての目標は明確であった。
現在では世界のいかなるところで起きた事件でも、即座に茶の間のテレビで見ることができる。
つまり、〈衛星によるリアルタイムでの国際ニュース〉が当たり前の時代となっている。
そのような国際報道のあり方の一大転換点となったのが、この実験放送の成功であった。
日米間初のテレビ宇宙中継成功
この時の実験放送は、米国から日本に向けて電波を送信するものであった。
実験放送には通信衛星リレー1号が使われた。
この衛星は、約3時間で地球を一周する低軌道衛星であったため、日米双方から「見える」20分程度が中継の限度だった。
その後、静止衛星シンコム3号の打ち上げによって、日米間で24時間自由に衛星中継をすることが可能となった。
東京五輪の映像は、このシンコム衛星を使用して世界中に中継された。
NHKアーカイブス「初の日米宇宙中継 大統領暗殺の悲報」は事実をきちんと伝えていない
11月23日(土)、初の日米宇宙中継は断続的に2回行われた。
第一回:午前5時27分42秒~同48分(20分間)
第二回:午前8時58分~9時15分(17分間)
11月26日(火)、二日目(第3回と第4回)の実験放送が行われた。(国葬の模様など)
第三回:午前4時から15分間:
第四回:午前7時50分から15分間:
実はこの実験放送では、当時米国に駐在していた前田治郎さん(毎日放送ニューヨーク特派員)が、日本語でナレーションを入れるという想定外の出来事が起こった。
その時の映像の一部を、NHKアーカイブス「初の日米宇宙中継 大統領暗殺の悲報」で見ることができる。
ただし、NHKアーカイブスでは、第1回と第2回の映像をつなげて編集している(画面の字幕では「1963年ニュースハイライト」よりとなっている)。
つまり断続的に2回行われた“宇宙中継”の初日の内容を1回分としてまとめている。(2020/03/23再確認)
したがって、前田治郎さんの日本語ナレーション入り映像が流されたのは、第1日目の第二回目の実験放送であったという事実が、あいまいになっている。
前田治郎さんの日本語ナレーション入り映像についてまとめておこう
1963年11月23日(日本時間)の実験放送は2回行われた。
なお、この時の実験電波は米国から日本に向けて送信されたものである。1回目(午前5時半)の放送では、アメリカ航空宇宙局(NASA)のあるカリフォルニア州モハービー砂漠の風景などが送られてきた。
その直前にケネディ大統領が暗殺されたため、事前に準備されていたケネディ大統領から日本国民に宛てたメッセージは送られてこなかった。実際にケネディ大統領暗殺というショッキングな映像が飛び込んできたのは、2回目の放送(同日午前9時)の時である。
そしてこの時、これらの映像に日本語でナレーションを入れたのが、前田治郎さん(当時35歳、毎日放送ニューヨーク特派員)である。
ところで、前田さんはあくまでも毎日放送ニューヨーク特派員であり、「中継のアナウンサー」(NHKアーカイブスのキャプション)ではない。
また、前田さんの出演は、前田さんがケネディ暗殺を取材している最中に全くの偶然から決まったことである。
宇宙中継の中で日本語ナレーションを入れるということは、当初から予定されていたことではなかった。さて、その2回目の放送では、前田さんは、当日の実験担当であった米国NBC放送のアナウンサーが全米向けにしゃべっている映像などを見ながら、別の場所で電話回線を使って音声を入れていった。
そして、それらの映像と前田さんの声が合わさって日本に送られた。
このようにして、米国アナウンサーの話す内容などを翻訳したものではなく、前田さん自身の言葉でケネディ暗殺直後の興奮した様子が伝えられることになった。
NHK「みんなのコメント」欄に投稿した
上記のことを確認しておきたくて、この度(2020年3月下旬)思い切って、NHK「初の日米宇宙中継 大統領暗殺の悲報」の「みんなのコメント」欄に投稿をした。
その内容は以下のとおりである。
1963年11月23日の実験放送は2回行われた。1回目(午前5時半)の放送では、アメリカ航空宇宙局(NASA)のあるカリフォルニア州モハービー砂漠の風景などが送られてきた。2回目(同日午前9時)の放送で初めて、ケネディ大統領暗殺に関する映像が飛び込んできた。この時米国にいて、日本語でナレーションを入れたのが前田治郎さん(毎日放送ニューヨーク特派員)である。彼は決して「中継のアナウンサー」ではない。
NHKアーカイブスのキャプションが書き換えられた
その後しばらくして、私のコメントが掲載されるとともに、NHKアーカイブスのキャプションが書き換えられているのに気が付いた。(2020/03/25再確認)
11月23日早朝、世界の放送史上画期的な実験、太平洋を越えたテレビの宇宙中継が行われた。午前5時28分、モニターテレビに史上初めて太平洋を越えてきた映像が鮮やかに映し出された。ところが、この歴史的な電波に乗って送られてきたのは、ケネディ大統領暗殺の悲報。中継のアナウンス「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念」と伝え、衝撃は全国に広がった。
キャプションを書き換えることによって、今度は日本語そのものとしておかしな文章になってしまっている。
以下にて、新旧の文章(後半部分)を併記してみた。
- 書き換え前:「中継のアナウンサーが「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念」とリポートし、衝撃は全国に広がった」。
- 書き換え後:「中継のアナウンス「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念」と伝え、衝撃は全国に広がった」。
私としては納得できない。
なぜならば、「前田治郎さんは決して中継のアナウンサーではない」、そして、そのことを指摘した私のコメント(「みんなのコメント」への投稿)を受けて、姑息な書き換えを行い、自らキャプションの日本語をめちゃくちゃにしてしまった行為が信じられなかったからである。
そこで、「前田治郎さんの日本語ナレーション入り映像が流されたのは、第1日目の第二回目の実験放送であった」という事実の確認も含めて、キャプション全般にわたってもう一度検討し直していただきたい旨、「NHKへのご意見・お問い合わせ」窓口宛てに郵送で申し入れをした。(2020/04/01付け)
2020年11月23日(月・祝)現在、「なしのつぶて」で何の連絡も無い。
誠に残念なことである。
第1回目の内容
第一回目の放送では、アメリカ航空宇宙局(NASA)のあるカリフォルニア州モハービー砂漠の風景などが送られてきた。
実はこの1回目の実験では、あらかじめ録画してあったケネディ大統領から日本へのメッセージが送られるはずであった。
しかし、大統領はこの時すでに暗殺されていた。
実験開始直前の5時14分、NASAからの宇宙無電で、「実験は予定通り行うが、大統領が映っている分の放送は取りやめる」という連絡が入っていた。
実験そのものは大成功だった。
朝日・毎日は感動の瞬間を次のように伝えている。
午前5時27分42秒、モニターテレビに濃淡の模様が出た。
続いてNASAの模様入りテストパターンが表示され、27分50秒、はっきりとした映像がブラウン管に飛び込んできた。
映し出されていたのは、広漠とした米カリフォルニア州モハービー砂漠(米側電波発信基地)の模様で、一本の木、草まで細かく写っている。
国内のテレビ放送と何らかわりはない。
“ドキッ”とするようなあざやかな画像
国内放送かと耳を疑うようなハッキリした声・・・
それは宇宙時代の新しい夜明けを知らせるファンファーレでもあった
第2回目の内容(前田治郎さんの日本語ナレーション入り)
そして2回目の放送で、ケネディ大統領暗殺というショッキングな映像が飛び込んできた。
画面には、在りし日のケネディ大統領の元気な姿が映し出された。
大統領に選ばれた直後(2年10か月前)の演説会の模様である。
テレビは、新聞スタンドに群がる人々、半旗を掲げたビルなど、悲しみと興奮に包まれたニューヨークの生々しい表情も伝えてきた。
これらの映像にナレーション(日本語)を入れた日本人がいる。
前田治郎さん(当時35歳、毎日放送ニューヨーク特派員)である。
前田さんは貿易商社から毎日放送に入り、アナウンサー、プロデューサーを経て、1963年2月からニューヨーク支局の駐在員となっていた。
事件当日、彼は仕事のためバスでマンハッタンからニューヨーク市郊外に向かっていた。
翌年4月から開催されるニューヨーク世界博の工事現場を視察するためで、ほかの日本人記者14~5人も一緒であった。
ハイウェイ入口の料金所で係員がバスのドア口から叫ぶ。
“ケネディ、デッド”。
皆の不安は的中した。実はバスに乗る前に、「ケネディが撃たれたらしい」と、市民がささやきあっているのを小耳にはさんだ記者がいたのである。
ハイウェイではバスはUターンできない。
一旦会場まで行かざるを得なかった。
市内へ引き返した前田さんは、当時業務提携をしていたABC放送の国際部門に駆け込んで、このニュースを日本に送るための資料集めをしていた。
そこへ、ABCの広報担当者から思いもかけない提案をうける。
「午後7時(現地時間)から2回目の宇宙中継実験が行われる。君が日本語でこの大事件のニュースを送ってみないか」
ABC国際部門のコイル社長は、当日の実験担当であったNBC放送に電話をかけ、日本に実験電波を送るテレビ映像と音声の回線を設定した。
約1時間後(日本時間午前9時ちょうど)、前田さんの声(日本語)は、そのとき全米で放送されていたNBCのテレビ映像に乗せて日本に送られた。
「これは輝かしい日米テレビ中継の2回目のテストであります」。
前田さんの第一声である。
その続きを、NHKアーカイブス「初の日米宇宙中継 大統領暗殺の悲報」(前述)の音声から書き起こしてみた。
この電波に乗せて、誠に悲しむべきニュースをお送りしなければなりません。すでにニュースでご存知と思いますが、アメリカ合衆国ケネディ大統領は、11月22日、日本時間23日午前4時、テキサス州ダラス市において銃弾に撃たれ死亡しました。この電波に、このような悲しいニュースをお送りしなければならないのは、誠に残念に思います。
注)用字用語は当Web作者による。また、句読点の位置は音声の息継ぎを参考にした。
前田さんはコイル社長のデスクに座り、目の前にあるテレビに映るNBCテレビの映像を見ながら〈電話〉で話をした。
映像そのものは、ケネディの就任演説の模様など回顧場面がほとんどであった。
前田さんは、テレビ画面とは別に次々と入ってくるニュースも生で電波に乗せた。
その内容は、そばに座っていたABC国際部門のスタッフがメモに書いてよこしたものである。
- ケネディ大統領の遺体は、いまちょうどワシントンのホワイト・ハウスに送られました。
- ジョンソン副大統領が、飛行機の中で宣誓を行って大統領に就任しました。
突然のことできちんとした原稿を作る時間はほとんどなかった。
“それこそアドリブでレポートしました”とはご本人のお話である。
前田さんの出演(13分12秒)はこうして無事終了した。
コイル社長がABCの東京事務所に国際電話(当時12回線しかなかった)をかけ、日本のテレビで確かに放映されたことを確認する。
社長と前田さんはウイスキーを手に中継の成功を祝ったという。
なお、日本に届いた映像は、NHKの全国ネットワークと民放全局を通じて日本全国に流された。
確かに、NHK・民放共に同じ映像が流されていたように記憶している。
プロジェクトX~挑戦者たち~(NHK)
第160回「衝撃のケネディ暗殺 日米衛星中継」
11月30日(火)21:15~22:00放送(2004年)
プロジェクトX~挑戦者たち~(NHK)という番組がある。
非常におもしろく興味深い番組である。
第160回「衝撃のケネディ暗殺 日米衛星中継」をちょうどテレビで見ることができた。
(なお、当時は衛星中継ではなく“宇宙中継”と呼ばれていた)
その内容を、以下のとおり私なりにまとめてみた。
東京オリンピック(1964年)開催が決定したのは、その4年前の1960年のことである。
しかしその当時、大陸間におけるテレビ画像中継技術は何も確立されていなかった。
例えば、わが国では、ローマオリンピック(1960年)の時、短波を使用して1コマ1コマの画像を連続送信する実験を行った。
しかし、その出来栄えは実用には程遠いものであった。
ちょうどその時、1961年(昭和36)、ケネディ・アメリカ大統領が、電波を〈送受〉信できる「通信衛星」を打ち上げることによって、ヨーロッパとアメリカを電話や映像で結ぶ計画を発表した。
ところが、日本は実験の対象とはならなかった。
技術力が低いとみなされたのである。
衛星からの電波はわずか10兆分の1ワットで、アメリカでともした電球の熱を日本で感じ取る、というようなレベルの技術力が必要であった。
なお、この「日本が外された」という表現に関しては、KDD(現KDDI)のOBたちから異論が出ているようである。
参考)「この番組では「日本は技術力が低いとアメリカの構想から外されていた」 と云うくだりがあり、我らOB仲間に疑問の声が上がった」。不死鳥物語~第6話 プロジェクトX談義~遠藤栄造 (2005年3月)から「」内引用。(2020/03/25確認)
https://k-unet.sakura.ne.jp/old/series/phnx/phnx06/phnx06.html
「プロジェクトX~挑戦者たち~」(NHK)は、書き過ぎる(面白く作る)傾向があったと私も感じている。
その結果として、この場合には事実とかけ離れた表現になったのであろうか。
ただし、この衛星中継の技術面に関しては、当Web作者は判断する能力を持ち合わせていないので、その一部を引用(出典元明記)するに留めておきたい。
さて、日本の技術者たちは、手探りの開発を続けながら、日本独自の通信アンテナである“カセグレンアンテナ”(直径20mの大パラボラアンテナ)を完成させた(1963年11月)。
そして直ちに、日米政府間で実験に関する合意が成立した(11月19日)。
日本も実験の正式なパートナーとなったのである。
実験開始予定日の4日前のことである。
アンテナの設置場所は、国際電信電話会社宇宙通信実験所(茨城県多賀郡十王町、現在のKDDI茨城衛星通信センター)。
技術責任者は、宮憲一(みや けんいち)国際電電宇宙通信研究部長(当時49歳)。
宮憲一さんは、その後KDD(現KDDI)副社長を務めた後、2004年4月8日死去(享年89歳)。
プロジェクトXのゲスト3人のうち2人は、技術者の方(宮憲一さんの部下)であった。
そしてもう一人のゲストが前田治郎さん(実験当時35歳)で、毎日放送ニューヨーク特派員としてケネディ暗殺事件当時アメリカに駐在していた。
前田さんは、アメリカから送られたケネディ暗殺という衝撃的ニュース映像に、アメリカで日本語のナレーションを入れる機会(前述)を得た方である。
以前から、わがホームページでもケネディ暗殺についてほんの少しだが書き留めていた。
その文章に対して、前田治郎さんご本人から“事実と異なる”とのメールがあった。
そしてその後、郵便、FAXや電子メールで数多くの資料及びアドバイスを頂き、この文章を完成させることができた(2004/04/25)。
その前田治郎さんご本人を、テレビで初めて拝見して感慨深いものがある。
国葬のもよう(キャロライン・ケネディなど)
11月26日(火)には、二日目(第3回と第4回)の実験放送が行われた。
午前4時から15分間:
容疑者オズワルドが射殺される瞬間の映像。葬儀参列のため渡米した池田勇人首相、大平正芳外相を出迎えるラスク国務長官など。
午前7時50分から15分間:
ワシントンで行われた国葬の模様(録画)が放送された。
ケネディ前大統領の葬儀は、現地時間25日正午からワシントン市内の聖マシューズ教会で国葬として行われ、ミサの後、遺体はアーリントン国立墓地に埋葬された。
そうした映像の中で、ケネディ大統領の妻であるジャクリーン・ケネディの両脇に立っていた長女と長男のことをよく覚えている。
長女のキャロライン・ケネディは、先日(2016年5月27日)、駐日米国大使(在任期間:2013年11月~2017年1月)として、オバマ米国大統領の広島訪問(米国の現職大統領初)に同行した。
映像の配信、今昔物語
2004年4月15日(木)、イラクで武装グループに人質にとられていた日本人3人が、8日ぶりにバグダッド市内で無事解放された。
この人質事件の第一報は、アルジャジーラ(中東カタールのアラビア語衛星放送)によって全世界に発信された。
そのときの映像は武装グループがアルジャジーラに送りつけたDVDからとったものだという。
さて、ケネディ暗殺事件当時は、国際ニュースといえば、航空便で届く数日遅れのフィルムの時代であった。
私にも次のような思い出がある。
思い起こせばローマオリンピック(1960年、昭和35年)の時、私は中学1年生であった。
水泳男子400m自由形決勝では、日本の山中毅がマレー・ローズ(豪州)と対決し、前回のメルボルン大会同様敗れ去った。
前年の日米対抗(ローズ米国留学中)で一度雪辱を果たしていたのだが、オリンピックではとうとう勝つことができなかった。
ローマ五輪のテレビ放送でもフィルムの空輸が行われた。
「ただ今、日航機でフィルムが到着しました」というような予告があって放送が始まったことがあるように覚えている。
参考資料
◯朝日新聞東京本社(夕刊)1963年11月23日、3版11面
日米間のテレビ中継成功、暗殺ニュースも生々し、劇的な悲しみを報ず
◯毎日新聞(夕刊)1963年11月23日
ケ大統領暗殺、悲報のせ宇宙中継、前田特派員(毎日放送)が報道
遺影もあざやかに、沈むニューヨークを刻々、衛星TV
◯朝日新聞東京本社(夕刊)1963年11月26日、3版11面
一瞬、静まり返る、”宇宙電波”に哀悼の視線
◯週間新潮1963年11月号p.23
日米中継のぶっつけアナウンス
”悲報”を伝えた日本語放送
衛星から送られた画面と前田特派員(写真キャプション)
◯週間文春1963年12月9日号P.14
新聞パトロール(特集、ケネディ暗殺)
新聞街に暁の緊急招集、世紀のニュースは締め切り直後にきた
海外特派員(毎日放送前田ニューヨーク特派員など)の活躍
◯文藝春秋1986年10月号p.181
日米新時代、30年の30人
38年、ケネディ暗殺を”実況”した日米TV中継の日
前田治郎(毎日放送国際室長)
◯朝日新聞1993年11月23日(関東版)
JFK暗殺こう伝えた、30年前の「その時」報道は-
日米初の衛星実験中継、飛び込んだ特派員、社長室で電話放送など
◯朝日新聞(夕刊)2003年1月15日
茶の間の奇跡(7)、ケネディ暗殺、「リアルタイム」の衝撃
63年11月22日宇宙中継の実験が本番に
ABC国際部門社長室でリポートした前田治郎。ぶっつけ本番だったが、アナウンサーの経験が生きた。(写真キャプション)
◯Herald Asahi, Mar.17,2003
50 Years of TV in Japan
Tragedy in Dallas reported in Japan via satellite
2024/11/10(日)用字用語微修正
2020/03/23(月)増補
2004/04/25(日)決定稿完成
2002/01/20(日)初出
参考リンク
人工知能の特異点を遡って
-2001年宇宙の旅-
原田康也(早稲田大学)
情報処理Vol.56 No.8 Aug.2015 753-755
https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp