原民喜

詩人(広島にて被爆)
代表作「夏の花」


梯 久美子『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(2018年)岩波新書

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略歴

1905年(明治38)、広島市幟町(現在の中区に含まれる)生まれ
1923年(大正12)、広島高等師範学校付属中学、四年終了
(大学予科受験資格獲得)
1933年(昭和8)、慶應義塾大学英文科卒業
1945年(昭和20)、広島にて被爆
1947年(昭和22)、代表作「夏の花」発表
1951年(昭和26)、死去(享年45歳)

代表作『夏の花』誕生

作家、詩人。妻を結核で失った翌年の1945年(昭和20)千葉から帰広、同年8月6日に生家で被爆する。代表作『夏の花』は、被爆後の惨状をメモした手帳を基に描いたもので、被爆3日後までの詳細な記録文学となっている。

この惨劇を書き残さなければならない、という強い使命感が書かせたのであろう。妻の大病で一度は失った創作意欲をかきたて、作品はその年のうちに書き上げられている。ただし、GHQの検閲を考慮して、実際の発表は1947年(昭和22)「三田文学」6月号となった。その間に、民喜は再び上京して『三田文学』の編集に携わるようになっていた。

原民喜は、『夏の花』以後の記録を、引き続いて「三田文学」から同年11月に、『廃墟から』と題して発表している。さらに、1949年(昭和24)には、被爆以前について描いた『壊滅の序曲』(近代文学)1月号を発表しており、これら三作品で『夏の花』三部作を成している。

原民喜の生家

原民喜の生家は、現在の幟町カトリック教会(広島市中区幟町4-42)の敷地内にあったという。具体的には、同協会にある世界平和記念聖堂の南の方角。中国新聞記事2009/04/27「ひろしま幻視行No.10」野木京子

ただし、同記事中の「千葉県から幟町の生家に疎開していたときに被爆」という記述は、多少ニュアンスが異なるか(妻を失ったショックで帰広が真相?)

青空文庫、詩碑、そして献水

原民喜の作品の多くは、「青空文庫」(インターネット電子図書館)で読むことができる。”青空文庫早わかり”によれば、「青空文庫は、利用に対価を求めない、インターネット電子図書館です。 著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキストと XHTML(一部は HTML)形式でそろえています」。

原民喜の詩碑の一つが、広島市佐伯区城山二丁目の茶臼山城跡に建っている。民喜の詩「永遠のみどり」を刻んだ石碑である。また、茶臼山城跡には、不老長寿延命水と名付けられた湧水が湧き出ており、毎年8月6日の平和記念式典に先立って行われる献水として使用されている。(市内16か所の水を使用)

2009年07月03日記:
佐伯区からは、最近では竜神釜(屋代川)の水を献水しているようである。

献水は、昭和49年の平和記念式典から、式典前の行事として取り入れられました。献水には、原子爆弾により亡くなられた方の遺族や、被爆者の水を求める声を聞きながら、水を与えることができなかった方の無念の気持ちなど、市民のさまざまな思いが込められています。平和記念式典とともに、原爆で亡くなられた方の霊を慰め、恒久平和への決意を新たにする大切な行事です。

(広報紙「ひろしま市民と市政」佐伯区だより、2004年8月1日号より)

参考資料

  • 青空文庫
  • 原民喜(ウラ・アオゾラブンコ)、リンク切れ
    回想録多数あり:遠藤周作、佐々木基一、庄司総一、中村真一郎、埴谷雄高、藤島宇内、丸岡明、山本健吉(2編)
  • 広報紙「ひろしま市民と市政」、献水(複数項目あり)
  • カルモチン(ブロムワレリル尿素)
山本明正(やまもと あきまさ)

1970年3月(昭和45)徳島大学薬学部卒(薬剤師)
1970年4月(昭和45)塩野義製薬株式会社入社
2012年1月(平成24)定年後再雇用満期4年で退職
2012年2月(平成24)保険薬局薬剤師(フルタイム)
2023年4月(令和5)現在、保険薬局薬剤師(パートタイム)