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貴殿とは何ぞや
しばらく前に(2012年11月ころ)、ある方と文書のやり取りをする機会があった。まだ直接お目にかかったことのない方である。その方が私に対して、しきりに「貴殿」という言葉をお使いになるので、不快ですと申し上げた。
すると逆に、目上の方に対して礼をつくしているつもりなのに心外だ、という意味の反論をされたので困惑してしまった。私の方が年齢的に上らしいのである。
私が戸惑ったのには理由がある。それは、以前読んだ「超」シリーズ(野口悠紀雄著)の中に、「貴殿という言葉は決して使ってはならない」とあったのを覚えていたからである。しかし残念ながら、今はその本が手許になくて確認できない(後日入手、再確認、後述)。
貴殿(きでん)と殿(どの)の違い
岩波書店『広辞苑』第六版(CD-ROM版)で「貴殿」を調べてみると、「(尊敬の二人称)あなた、貴下」(一部略)とある。貴殿に関して否定的な記述はどこにもない。ただし、具体的な使用法についての記載は特になく、どのような場面で使うべきかについてはよく分からない。
ところで、私が「貴殿」という言葉に不快感を覚えるのは、野口悠紀雄著の影響というよりは、むしろ、貴殿の中の「殿」が気に掛かるからであろう。
そこで、殿や貴殿について、インターネットで少し検索してみた。
〇〇殿という言い方は、さすがに最近では、役所でもほとんど死語になったものと思われる。今では「様」書きが一般的である。
これとは反対に、「貴殿」は、現在でも役所などではごく一般的に使用されているとのことである。もちろん、肯定的な意味である。これには私も驚いてしまった。自分自身の勉強不足を恥じるばかりである。
これを機会に、私宛の過去の手紙(あるいは文書)やe-Mailを読み返してみると、「貴殿」という言葉が意外と一般的に使われていることに気付いた。この方とのやり取りが始まるまでは、実際には私自身あまり気に止めることはなかったのかもしれない。
引き続き、インターネットで調べてみる
私が貴殿を不快に思うのは、私の感覚がずれているからであろうか。引き続いて、インターネットで遊んでみた。
そうすると、「貴殿」という言葉を受け入れることができますか、といった意味のアンケートが出てきたりして面白い。ざっくりまとめると、反発する人半分、あまり気にならない人半分といった感じである。なおここでは、アンケート回答者の背景(年齢・性別そのほか)はよく分からない。
とは言うものの、ほぼ半数の人が貴殿という言葉に不快感を示している。「貴殿」という言葉の使い方は難しそうである。
さて、インターネットには野口悠紀雄著のことも出ている。それによると、『「超」文章法』中公新書(2002年)の中に、「「貴兄」、「学兄」、「貴殿」は、歳上の人に対して決して使ってはならない表現だ」という文章があるという。
そのほかでは、原典が示されていないので評価に迷う点はあるものの、筒井康隆のエッセイの中に「女房のお父さんから貴殿と言われたら、気分が悪い」という意味のことが書かれているともいう。
さらに、”ビジネスマナーと基礎知識”といった類のサイトを確認してみると、野口の主張とは正反対、あるいは異なる記述もみられる。
「貴殿・・・男性が、対等または目上の人に対して用いる。もとは相手への敬称として用いられていたが、現在は同輩に親愛の気持ちを表わす言葉としても、用いられるようになっているので注意が必要」。ビジネスマナーと基礎知識 >> 敬語の使い方・言葉づかい
www.jp-guide.net/businessmanner/business/keigo.html
貴殿の捉え方は、千差万別である
貴殿という言葉には、その意味の捉え方において、肯定派から否定派まであまりにも幅がありすぎると考えられる。つまり、それだけ使用法の難しい言葉であるといえる。
少なくとも私には、私なりの「貴殿の正しい使い方」を文章にまとめることはできなかった。自分なりにきちんと理解できていない言葉を、無理してまで使うことはないだろう。そこで私自身は、個人的には「貴殿」という言葉は決して使わないことに決めた。
そしてその後、「貴殿」という言葉に敏感になった私の元に、相変わらず「貴殿」は送り届けられ続けている。
インターネット時代の呼称を考える
現代はインターネット全盛の時代である。顔も合わせたことのない人とメール交換などをする場面は、今後益々増えてくることであろう。その時に、相手の方に対する呼称をどうするか、悩みはつきない。
私自身は、今回の件も踏まえて、仕事であるかプライベートであるかにかかわらず、〇〇様とするシンプルなスタイルを中心にやっていこうと考えている。
例えば、私が私のWebに関して、初めての問合せメールを出すとするならば、まず最初に、「Akimasa Net管理人・〇〇様(実名)」と書くであろう(注:「お問合せ」フォームには実名が表記してある)。
そしてその次に、自分の氏名を名乗った上で、本題に入るであろう。自分が何者であるかを明らかにしないで、相手の方とのやり取りはできないと考えるからである。
なお、ここでは、Web上(公開の場)のことではなく、電子メールなど(私信)でのことを言っている。
後日談
上記は原典に触れずに書いていた。県立図書館などで確認をすべきだったのだが、その時間が取れなかったからである。
数日後、野口悠紀雄著『「超」文章法』中公新書をアマゾンで入手した(新刊本)。第6版(2007年12月5日)であった(初版:2002年10月)。
さっそく本文を確認すると、「小生」と言うのはやめよう(pp.216–217)の項があり、以下のように書いてある。
「小生」は、辞書では「謙称」となっているが、実際には目下の人にあてた書簡文で使う表現だ。印刷される文書で使ってよい表現ではない。雑誌のエッセイなどで使っている人がいるが、傲慢に聞こえる。いまどき「拙者」と書く人はいないだろうが、ニュアンスとしては同じようなものである。「貴兄」、「貴学」、「貴殿」は、歳上の人に対して決して使ってはならない表現だ。
野口悠紀雄著『「超」文章法』中公新書(2002年)pp.216-217
なお、本書の副題は「伝えたいことをどう書くか」である。そしてその帯をみると、「目的は、感動させることではない、メッセージを確実に伝え、読み手を説得することだ」となっている。
現代において、「メッセージを(相手に)確実に伝え」、「(気持ちよく)読み手を説得する」には、インターネット時代にふさわしい新しい言葉使いが求められている、と言えるだろう。
松本清張『点と線』の中の「貴兄」
松本清張の原作をビートたけし主演で映像化したテレビ朝日開局50周年記念ドラマ(2007年)。その再放送をビデオに撮って見た。(2014/07/12)
番組の最後で、老境に入った元・警視庁捜査二課の三原紀一警部補と、元・福岡署の鳥飼重太郎刑事(3年前に死去)の娘が面会する場面がある。そこで、三原が鳥飼の娘に、その昔、鳥飼から三原宛に送られた手紙を読んで聞かせている。
手紙の中では、鳥飼が三原に対して「貴兄」という言葉を何度も使っている。警察官の階級として、どちらが上位なのか私には分からないが、年齢はもちろんのこと職歴でも鳥飼の方が上である。事実、別の手紙で、三原は鳥飼のことを「先輩」と呼んでいる。
したがって、先輩から後輩に向けて「貴兄」という言葉を使っていると理解される。
なお、このシーンは映画のためのものであろうか。原作にはないと思われる。
松本清張『砂の器』の中の「貴殿」と「小生」
「カメダは今も相変わらずでしょうね?」。国電蒲田駅(東京都大田区)近くのトリスバーで、客が話す東北弁らしい訛りのある言葉を何人かが聞いた。やがてそのカメダとは、東北の羽後亀田(現・秋田県由利本荘市)のことではなく、山陰の出雲亀嵩(島根県仁多郡奥出雲町)のことではなかろうかという疑いが強まった。奥出雲の方言もズーズー弁で、東北弁に似ていたのである。
『砂の器』には、出雲地方の方言が会話体でよく出てくる。その校正には、亀嵩算盤合名会社の代表社員などが協力した。そしてその後、亀嵩は『砂の器』映画化のロケ地となり、現地には「砂の器記念碑叙事」の碑も建てられた。
そうした深いつながりの中で、清張自身に亀嵩算盤を贈るということが実際にあったのであろうか。清張は『砂の器』の中で、亀嵩算盤合名会社の代表社員から、亀嵩算盤を小説の主人公である今西栄太郎(警視庁捜査一課の部長刑事、45歳)に送った時に添えられていた手紙という設定で、その内容を書き記している。そしてその中に、「貴殿」という言葉が出てくる。
亀嵩算盤合名会社の代表社員は、今西栄太郎よりは、年上の「老人」である。「貴殿」という言葉は、年上の老人から年下の刑事に向けて、敬意を込めた呼びかけとなっている。
なお、同じ手紙の中で、「小生不相変(あいかわらず)、雲州の山間にて逼塞(ひっそく)致し居り候」とも書いている。注:()内フリガナ。
最新:2014/07/12(土)
初出:2012/11/12(月)